砂川ひろのりの日記

政治・経済・社会批評について

「「貧困だから学力が低い」のではない」と言えるのはなぜなのか:教育基本法第5条の視点から(貧困問題と学習能力の相関性③)

前回は、行動遺伝学の研究成果によってIQや学業成績あるいは収入にいたるまで遺伝の影響を強く受けている領域が(一般的にイメージされているよりも)広く多岐にわたることが判明していると書き、このように学力と遺伝の因果関係が統計的に証明されている以上、税金を投入して貧困対策事業を実施するさいには、この事実を前提に置いて議論すべきじゃないだろうかと話を締めくくった。

前回注意を促したように、今回もまた、「貧困対策事業」といえば、塾や予備校に通うお金のない世帯で生活する小中学生のために、学力格差を改善するべく、自治体が税金を充て無料で学習機会を提供する事業のみを指すことに限定する。
この限定がなければ、本論の正当性や妥当性がほぼすべて崩れてしまうため、その都度折を見て注記していく。
高校生すなわち大学受験生については事情が少し異なるため、小中学生と切り離して別途書く。

貧困問題に取り違えられた義務教育の問題

さらなる考察を深める前に、おそらく多くの人が気にかけるであろう疑問の解消からしておきたい。
すなわち「「貧困だから学力が低いのではない」と言えるのはなぜなのか」という点についてである。
前回のエントリの真ん中あたりで、貧困世帯の生徒は貧困が原因で学習機会に恵まれていないがために学力が低くなるとの考えは、お国柄や職業の如何を問わず、多くの人に強く根付いている学力観だが、実はこれには根拠がなく、少なくとも現時点で因果関係は示せていないと書いた。
まず初めに確認しておきたいのは、国民の三大義務にある通り、(貧困であろうがなかろうが)中学卒業までの義務教育課程のなかで、きちんと学習機会は確保されているという点についてである。
確かに、難関高校に合格するためには学校の勉強だけでは物足りず、塾や予備校に通う必要が出てくるのはその通りなのかもしれない。*1
しかし、学校の授業を真面目に聞くだけで合格できるレベルの問題のみを出すはずの公立高校に合格するために、塾や予備校に通う必要は一体どれほどあるだろうか。
1日6時間の勉強時間を学校で確保しているにもかかわらず、学習機会に恵まれていないというのは少し無理があるように思われる。
もちろん、学校の授業だけでは理解に不十分だからこそ塾や予備校に通っているのだと主張したい人が大勢いることが分かったうえで、ぼくはこの話をしている。

ただ、よく考えてみてほしい。
これは貧困問題として扱うべき問題なのだろうか、と。
学校の授業をいくら真面目に受けても公立高校の入試問題に対応できるような学力を残念ながら身につけることができず、そのため塾や予備校に通う必要性が生じたが、貧困世帯であるがゆえに金銭的な余裕がなく塾や予備校に通うのを断念してしまった人のケースを想定してみよう。
貧困対策事業をおこなう自治体の担当者や自治体から業務委託を受ける教育事業者は、このケースを(短絡的に)貧困問題に還元して、多額の税金を充て対象生徒に対し無料で学習機会を提供しようとする。
しかし、これは貧困が原因で起こった問題ではなく、義務教育の欠陥により引き起こされた問題だと捉えるのが筋である。
もう一度よく考えてみてほしい。
学校の授業を受けただけでは理解が不十分な状態のままにとどまり、普通レベルの公立高校に合格できるだけの学力を身につけることができない義務教育というのは明らかにおかしくはないだろうか。

回りくどいとは思いつつも、ここで一度、そもそも義務教育の目的とは何なのか改めて考えてみたい。
教育基本法の第5条には、

2項……義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質 を養うことを目的として行われるものとする。
3項……国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。

とある。
注目すべきは、第2項の「国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質の箇所と第3項の「義務教育の機会を保障し、その水準を確保するの箇所である。
第2項に書かれている「……基本的な資質」のなかにはいろいろな基本的資質が含まれているとは思うが、そのうちのひとつに「基礎学力」が含まれているのは間違いない。
というのも、これを「基本的な資質」と呼ばずして、一体何を義務教育における「基本的な資質」と呼んだらいいのか分からなくなるからである。
そして第3項には「その(=義務教育の)水準を確保する」とある。
この点ついては解説の余地はない。

以上をまとめると、義務教育とは"基礎学力を養うために、教育水準を確保することを目的として行なわれる普通教育"だと定義することができる。
だとすれば、先ほど述べたように、普通レベルの公立高校に合格できるだけの基礎学力を身につけることができない義務教育は明らかにおかしいと見なすのが筋の通った考えであり、もし本当に、学校の授業を受けただけでは基礎学力を身につけられないのであれば、それは大いに問題ありと言わなければならない。
ただし、何度も言うように、それは貧困問題に還元すべきことではなく、あくまで義務教育の問題である点を間違えてはならない。
この点を混同しているのが、現在沖縄の各自治体で行なわれている貧困対策事業である。

正常に機能していると見なしていい日本の義務教育

そして、ここでもうひとつの疑問が湧いてくる。
果たして本当に義務教育に欠陥があると言えるのか、という疑問だ。
もちろん義務教育の制度や中身が少なからず問題点を抱えているのは知っている。
授業内容が相当に時代遅れなところや、あるいは、たとえどんなに能力が高い生徒であっても9年間は必ず義務教育課程を履修しなければならないところなど、数え上げればいくらでも問題点は出てくるかもしれない。
実際、16回に及んだ一連のエントリ「宿題ばかりしているいまの子どもたち」では、現行教育制度によって普及・拡大した「学校化社会」についての批判的な主張を何度も重ねてきた。
記事中でぼくは、教育による子どもたちへの過介入を問題視したのだが、その批判の有効性とは別に、現行教育制度のなかで評価できるところをひとつ挙げると、地域の格差なく全国的に基礎学力の育成に成功している点に関しては、どれほど評価してもし過ぎることはないと考えている。*2
以下は、2015年度に実施されたPISAにおける日本の成績を示すグラフである。

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科学と数学に比べ読解力の順位がやや見劣りするものの、それでも、OECD加盟国の平均スコアとは比較しようもないほど立派な成績をおさめているのが容易に見て取れる。
この部分だけ取っても義務教育はそれなりに正常に機能していると言ってそう間違いでないことが分かる。
とすると、ここから何が見えてくるだろうか。

普通レベルの公立高校に合格できるだけの基礎学力を身につけることを目的として実施されている義務教育が正常に機能していると見て問題ないとすれば、本当に目を向けるべき対象は、義務教育をもってしても基礎学力を身につけられない生徒のほうだとは考えられはしないか。
つまり、真面目に受けてもきちんと理解できないからこそ、学校の授業だけでは不十分だと感じ、そのため、学校外での学習機会の必要性を訴える生徒が出てくるというのが事の真相により近いとぼくには思われる。
問うべきは、いろいろな問題を抱えているにしろ、正常に機能していると見なしていい義務教育をもってしても、学力の面ですくい上げられない生徒が少なからず存在する事実についてである。
繰り返すが、義務教育は基礎学力を養うことを目的として成り立っている。
その義務教育課程を通して1日6時間の授業を9年間受けたとしても(あけすけに言えば、どれだけ努力したとしても)基礎学力を身につけられない生徒が一定数存在すること自体にぼくらは目を向けるべきであり、この問題は、貧困世帯の生徒は学習機会に恵まれていない云々といったような貧困問題に還元すべきものではなく、(前回行動遺伝学の話を引き合いに出したように)むしろ学力における遺伝が与える影響力の強さの問題として捉えるべき事項である。

貧困問題ではなく「遺伝と学力の因果関係」の問題

したがって、貧困が原因で学習機会に恵まれていないがために学力が低くなるという学力観は誤っているか、でなければ少なくとも短絡的で、貧困が原因で学力が低くなるとの主張には留保をつけたほうが賢明だと言えるだろう。
この問題にかぎり、貧困を原因に持ってくると物事の本質を見誤る可能性が出てくるため、因果関係がはっきりしていること、今回で言えば、遺伝と学力との因果関係を前提とした議論を念頭に置いて話を組み立てるところから出発したほうが、より真実に近づきながら生産的な解決策が見出せるはずだと今回の考察を通して明らかになった。
ここに来てようやく、「「貧困だから学力が低い」のではない」と言えるのはなぜなのか、について一応の答えを得ることができたように思う。
貧困だから学力が低いのではなく、学力の低さはある程度遺伝によって決定づけられているのである。
次回は、もう一歩踏み込んで「学力が低いとなぜ貧困に陥りやすいのか」という(本エントリで言及したような誤った因果関係=擬似相関とは逆の)因果関係の話から始めるつもりで考えている。

(続く)

*1:難関中学校や難関高校を目指そうと思い立つことが可能なほど優秀なのにもかかわらず、貧困が原因で塾や予備校に通えない優秀な小中学生にこそ貧困対策事業は講じられて然るべきだが、その話は稿を改めて書く。先走って少しだけ結論部を述べておくと、本稿で問題視しているのは、誰彼かまわず貧困対策事業の対象者にしている部分であり、予算を効率的に使うことを重視するのなら、対策を講じて"効果の出る"生徒にのみ限定すべきだといった論理を展開していくつもりである。

*2:時代の急激な変化にともなう基礎学力の内容変化に対応できていないツケが、そう遠くない未来に回ってくるとは思うが。