砂川ひろのりの日記

政治・経済・社会批評について

行動遺伝学の研究成果をもとにした新たな学力観(貧困問題と学習能力の相関性②)

総体的な話として、一般家庭の生徒と貧困世帯の生徒とでは、同じ量の努力をしたとしても、学習能力と学習意欲のあいだに埋めがたいほどの差が歴然と存在すると前回書いた。
受験を間近に控えた中学3年生にもかかわらず、中学入学直後に習うはずの正負の足し算と引き算の解き方が理解できない生徒がおり、この生徒ほどではないにしろ、同じくらい数学の勉強ができない生徒も一人や二人ならず存在すると知って驚いたのはもちろんのこと、いままで教えていたような一般家庭の生徒ばかりが通う学習塾での状況とはまったく様相が違っていただけに、貧困問題と学力レベルを関連づけないわけにはいかなかったのである。

大半の人が抱く間違った学力観

貧困世帯の生徒たちは経済的負担が理由で塾に通うお金がなく、一般家庭の生徒たちと比べると、学校外での学習機会に恵まれていないがゆえに、互いの学力差が拡大していくばかりであるため、何とかこうした状況を改善するべく、税金を投入し、貧困世帯の生徒たちに対して無料で学習機会を提供する必要があるといった考えにもとづいて各自治体は貧困対策事業を実施する。
この考えの根底にあるのは、現代における民主主義と自由主義の思想に照らし合わた場合、個人がどうすることもできない属性によって(学習機会や経済的な)格差が生じる状況は何としてでも改善されるべきものであり、貧困世帯の生徒たちの学力が低いのは、偏に学習機会へのアクセスが閉じられているからで、したがって学習機会を与えさえすれば、あとは本人たちの努力次第で学力は自ずと向上していくだろうという学力観である。
このような観念は、なにも行政自治体の担当者だけが持つ観念ではなくて、お国柄や職業の如何を問わずほとんどの人が抱いていると言っていいくらい根強いものだと思われる。
したがって、貧困対策事業を実施しようとするときには、税金を投入して、対象生徒が経済的な負担を抱えることなく無料で学習機会にアクセスするための環境づくりをすることになるのは至極当然の成り行きだろう。
そして、この対策方法はどこも間違っていないばかりか、今後もさらに推進していく必要がある公共性の高い事業だと見なされることもまた、当然の成り行きである。
(混同しないように言っておくと、たとえば生活保護も貧困対策の一環だが、本エントリーでは、塾に通うお金のない世帯で生活する小中学生のために、学力格差を改善するべく、自治体が税金を充て無料で学習機会を提供する事業のみを「貧困対策事業」だとする点を注記しておきたい。高校生すなわち大学受験生については事情が少し異なるため、小中学生と切り離して別途書く予定。)

IQの遺伝寄与率は約65%(成人初期の時点)

しかし、現場に立った経験のあるぼくに言わせれば、ここまで述べてきたような学力観にもとづいた考えや対策方法は、(言葉は悪いが)非常に短絡的なものだと言わざるを得ない。
なぜか。
前回見たように、この貧困対策事業を通して、一般家庭の生徒たちと同じような学習機会を無料で与えてもらうことで努力を積み重ねるチャンスを得たにもかかわらず、成績がまったくと言っていいほど向上しない生徒が貧困世帯のなかには高い割合で存在するからである。
まず、大半の人々に強く根付いている従来の学力観を疑ってかかる必要がありそうだ。
一般的にイメージされているように、貧困が理由で学習機会に恵まれていないがために学力が低くなる、のではない。
もちろん、この因果関係がまったくないとは言わないが、割合としてはそこまで高くないはずで、少なくとも統計的に証明されたものではなく根拠がある考えとは言えない。
では、逆はどうか。
つまり、学力が低いことが原因で貧困に陥っているとは言えないだろうか。
こちらも因果関係が証明されているわけではないため、その点説得力に欠ける考えだと言われればそれまでだが、とはいえ、両方の因果関係が証明されていないのなら、より真実に近いと個人的に思う立場をどちらか選べと判断を迫られたら、ぼくは迷うことなく後者の立場を選ぶ。
というのも、IQや学業成績あるいは性格などの個人的特質は、行動遺伝学がこれまで積み重ねてきた研究成果によれば、遺伝的要素がきわめて高いことが統計的に証明されているからである。
それどころか、統合失調症アルコール中毒さらには収入にいたるまで遺伝の影響を強く受けている領域は、普通ぼくらが考えている以上に広く多岐にわたっている。
行動遺伝学の第一人者である安藤寿康が書いた『日本人の9割が知らない遺伝の真実』を参照すれば、IQに関しては成人期初期の時点で遺伝寄与率が約65%、数学の才能は何と約85%もの影響を遺伝から受けていると統計的に算出されており、したがってこの数値から容易に理解できるように、学力は本人の努力以前の問題なのではないかと考えたほうが合点がいくケースが多いと言っていいだろう。
(話を分かりやすくするために、ここでは共有環境と非共有環境の話を省略している。)
下図が、各性質と遺伝の関係を示したグラフの一例である。

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このように、学力に直結する素質が遺伝の影響を非常に強く受けているのだとすれば、前回述べたように、いくら勉強を頑張ろうが成績が一向に伸びない生徒が一定数存在するとしても何ら不思議なことではない。
強調しておきたいのは、学力と遺伝の関係性については因果関係が証明されているということである。
この点だけを取っても、より真実に近い立場がどちらなのか少しずつ明らかになってきたのではないだろうか。
貧困であろうがなかろうが、学力に対する遺伝寄与率が半数の50%を大きく上回る高い数値になることが統計データとして算出されている以上、本人が努力する以前の生まれた段階から学力の高低がある程度決められていると考えられるため、この学力を所与の前提として議論の最初に置くほうが、貧困対策事業に携わった一人の人間としては非常にすんなりと納得できるのだ。

(続く)

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