砂川ひろのりの日記

政治・経済・社会批評について

貧困問題と学習能力の相関性①

教育から離れて2ヶ月ほど時間が経つが、来月から大幅にキャリアチェンジをするにあたって教育について最後に書けることは書いていこうと思い、キーボードを叩いている。
地元宮古のとある学習塾が、市から業務委託される形でスタートさせた「市の子ども貧困対策事業」の教室責任者として、今年1月から6月までの約半年間、貧困世帯に属す小学1年生から中学3年生までを相手に、学習指導や生活指導をおこなった経験がある。
当初は、この事業とは別の予備校業務に携わり、一般家庭の高校生を相手にするつもりで働くはずだったのが、貧困対策事業のほうが人手不足であったために、急遽こちらのほうに回ることになった。
これまで小学生を相手にした経験もなければ、むしろどちらかといえば、仕事では相手にしたくないと思っていただけに、正直なところ、引き受けることにためらいを覚えたものの、背に腹は変えられないというか、当時のぼくは一刻も早く宮古を出るために早急にまとまったお金が必要だったこともあり、多少の不安を持ちながらも、この仕事を引き受けることにした。
宮古に帰ってきてからの数年間に担当した教え子は、貧困世帯出身ではなくて、基本的には一般家庭の子どもたちであり、確かにそのなかには貧困世帯に近い子もいたとはいえ、しかしその多くは経済的にそこまで問題のない家庭で育った子どもたちだった。
今回、本意ではないにしろ、ほとんどすべての対象生徒が貧困世帯にあたる子どもたちを相手にすることになったのは、ある意味良かったのかもしれない。
というのも、見ようと思わなければ素通りできたはずの問題に、偶然にも関わらなければいけなくなったおかげで、ほぼ初めて肌感覚を通して、貧困問題について考えるきっかけを与えてもらったからである。
しようと思ってもなかなかできない体験だっただけに貴重な体験になったのは間違いない。

沖縄県内の世帯貧困率は34.8%(2012年時点)

以前のエントリーで、県が独自にまとめた2017年3月時点の県高校生調査の中間報告で県内における貧困世帯の子どもの割合は29.3%だと判明したと書いた。
この数値は全国平均の約2倍にあたり、沖縄は全国一子どもの貧困率が高い県だとということになる。
以下は、山形大学の戸室健作准教授の調査(2016年1月に公表)で明らかになった貧困率の推移である。

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2012年までのデータを見る限りだと、少しずつではあるが、世帯貧困率が上昇しているのが分かる。
2012年時点で全世帯のうち34.8%もの割合の世帯が貧困世帯だと示されているのは、にわかには信じがたい数字であるだけにとても驚いてしまうが、上記した仕事に携わるようになってから初めて、こんなにも貧困世帯に住む子どもたちの数が多いのだという事実を知ってからは、この数字には納得せざるを得ない真実味が込められているように思う。
戸室健作氏が、日本で初めて都道府県別の貧困率を調査・公表したのは2013年12月であり、この調査を受けて以後だとは思うが、沖縄県内で貧困問題についての報道をよく目にするようになり、県内の各自治体も危機感を煽られるようにして積極的に貧困対策に乗り出すようになった。
当然ながらぼくの地元である宮古島市も対策を打つ動きを見せ始め、ぼくが教室責任者として携わった教室は市内で二ヶ所目の教室となる。
一ヶ所目の教室だけでは対応しきれないほどの数の対象者が、それだけいたということだ。 

歴然と存在する学習能力の差と学習意欲の差

先ほど述べたように、ぼくは、大学卒業後に宮古に帰ってきてからの数年のあいだに、そう安くない授業料を毎月払う必要のある塾に通う一般家庭の中高生を相手に勉強を教えたことはあっても、塾に通うお金のない貧困世帯の子どもたちをまとめて一斉に勉強を教えた経験はまったくなく、今回が初めてだった。
これまで教えてきた一般家庭の子どもたちと今回教えることになった貧困世帯の子どもたちを、それぞれ別々に相手してきた感想をここで率直に述べれば、たとえ同じような努力をしたとしても、絶望的なまでに埋めがたい学習能力と意欲の差が確実に存在することが分かったという点に尽きる。
もちろん、これは全員が全員そうだというわけでは決してなく、総体的な話なため、例外的な存在も当たり前のようにいるにはいるが、とはいえ、一般論としては否定できない事実であることに変わりはない。
ぼくだって、勉強したぶんだけ成績は向上するものだと信じたいし、そう信じなければ自分のしていることに対し徒労感以外のものを感じることはできるはずがないと考えていたからこそ、学校の授業では軽く流されてきたような事柄や簡単に見える内容の問題であっても、もしそれが重要事項ならば、丁寧に教えることを常に心がけて指導してきた。
しかしながら、結果的には徒労に終わることのほうが多かったと結論づけざるを得ないほど、期待したような成果は得られなかったというほかないのがいまの心境である。

特に驚いた事例をひとつ挙げると、受験を直前に控えた中学3年生の一人が、中学に入学した直後に習うはずの正負の足し算と引き算ができなかったことだ。
その生徒を担当した直後は、何らかの理由でこの分野を習う機会を失したのだろうかと少し気の毒に感じたものの、指導を重ねていくうちに実はそうではなかったということが分かり、受験対策を本格的に始める前に3年間の総復習のつもりで丁寧に正負の計算を説明したところ、教えた直後は問題を解けるのだが、しばらく時間を置いて似たような問題を出すと、これがまったく解けなくなってしまっていた。
一度ならまだしも、あの手この手工夫しながら正負の計算の仕方を1ヶ月近く教え続けても、解き方を身につけるどころか、なぜそうなるのか全然理解できずにおり、相当苦戦していた。
本番までの時間に余裕があるわけではなかったため、結局は数学の勉強はやめることにし、そのあとほかの科目の対策で何とか合格できるように対策を変更することになったわけだが、数学ほどはないにしろ、ほかの科目も似たような状況だった。
仮に、この生徒だけ理解力に乏しかったのだとすれば、そこまで気にしなくてもいい問題かもしれない。
しかし、同じような理由から数学の勉強を途中断念したケースはほかにいくつも存在する。
なかには、小学4年生あたりの勉強に戻って説明する必要性が生じるほどの生徒までいた。
このように、宮古島市が肝入りでスタートさせた「市の子ども貧困対策事業」に携わり一連の場面に遭遇するようになってから、ぼくは貧困問題と学力の問題を関連づけないわけにはいかなかった。 

(続く)