砂川ひろのりの日記

政治・経済・社会批評について

沖縄はなぜ少女たちが「裸足で逃げ」だす社会なのか(『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』を読んで)

少女たちは一体なにから「裸足で逃げる」のか

沖縄県内の若者を中心としたフィールドワークを精力的におこなう教育学者上間陽子の『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』をつい1ヶ月ほど前に読んだのでその感想含めて、沖縄が抱える貧困問題についてほんの少しだけ思うところを述べてみたい。
社会学者の岸政彦が推薦していたからか、上梓直後に県外のWEBメディアでも取り上げられていたため、本書の存在自体は早い段階から知っていた。
宮古に特化してはいたものの「学校化社会」について真剣に考えていた時期(「宿題ばかりしているいまの子どもたち」を書いていた時期)に重なっていたこともあり、フィールドワークを通して沖縄の少女たちの生活実態に迫ったこの本からは、何かしら得るところが多いはずだと読む前から分かってはいた。
教育学的な、もしくは社会学的な理論的枠組みを使った概念分析をまったくせずに、何人かの少女たちの生活記録をありのままに綴るスタイルは、前回のエントリーで言及した宮台先生の『まぼろしの郊外』のそれとはまったく異なるが、そのぶんだけ、沖縄の夜の街に生きる少女たちの生活実態がかなりのリアリティを帯びた物語として浮かび上がってくるため、まるで小説を読んでいるかのような感覚に陥ってしまうほど食い入った。

本書に登場する少女たちの多くは、若くして子どもを身ごもったり、なかには中絶を経験した子やレイプされた子、あるいは恋人からの暴力や実家との確執など、想像に余りある苦難を数多く抱えながら必死で生きており、本書にある言葉を用いれば、「もっとゆっくり大人になっていい」はずなのに、早く大人になることを強いられてきた子たちばかりだ。
少女たちが「裸足で逃げる」のは、暴力をふるう恋人や取り調べをおこなう警察、あるいは叱責を繰り返す親からである。
彼女たちは、自分の存在を否定しにかかる人たちから消えるように逃げていく。
このような経験をしたことのある人は沖縄には非常に多く、ぼくのかなり近いところにいる人のなかにも普通にいるほど特に珍しい話ではない。
むろん、珍しさを感じないほどに当たり前と化していること自体に対し恐ろしいと感じるべきだとは思うが、果たして沖縄にはなぜ「裸足で逃げ」なければならないほど危険にさらされる少女たちがこんなにも多いのだろうか。

沖縄県内に住む子どもの貧困率は29.3%(2017年)

沖縄県が今年3月に実施した県高校生調査中間報告によると、県内に住む子どもの貧困率は29.3%にのぼり、この数字は全国平均のおよそ2倍にあたる。
にわかには信じがたい数字ではあるが、僕ら世代が中学高校だった時代に比べると、確かに貧困家庭が明らかに増えているのは間違いないと思うくらい肌感覚としてもそれが十分に伝わってくる。
言うまでもなく、県内の子どもの貧困率の高さと『裸足で逃げる』に出てくる少女たちの壮絶な体験の数々は決して無関係な話ではなく、それどころかむしろ、密接な関係にあるとさえ言っていい。
なぜか。

以前述べたように、沖縄が貧困に陥る理由は、資本主義の核にある「不等価交換システム」によるものだと見なすことができるが、貧困に陥りやすい沖縄のなかでももっとも貧困にさらされている層が、女性であること/若くあること/学歴を持たないこと/の3つの要素を掛け合わせた人であり、それはつまり、本書に登場する少女たちのことを指している。
そこからひとつの仮説を立ててみると、彼女たちの壮絶な体験の数々、すなわち望まない妊娠や、その結果としての中絶や、あるいは早すぎる出産、そして恋人の男性からの暴力などは貧困によって引き起こされたものだと考えられ、もし貧困がいま以上に少なければ、このような被害に遭う女性の数も同様に少なかったのではないか。

仮に貧困じゃなければ高校卒業後の進路として大学進学を何の躊躇もなく考慮に入れていたはずだが、経済的負担が足かせとなり、本人が望むと望まざるとにかかわらず、貧困世帯の高校生の多くが大学進学を諦めざるを得なくなっているのが現在の沖縄の状況である。
先ほどの調査では、一般世帯と貧困世帯の高校生を対象に進学希望についてのアンケートも実施しており、一般世帯に該当する高校生の「大学や専門学校への進学希望の割合」が78.9%だったのに対し貧困世帯では66.1%と、一般世帯に比べ12.8%も低く、希望する進路を「高校まで」と答えた生徒にその理由を聞くと「進学に必要なお金が心配」「大学に進学できる学力がつかないと思う」と回答した生徒が最も多いことが分かったと県内各紙が報じている。

容易に推察できるように、貧困世帯の高校生の多くは、早ければ中学生の時点で、大学や専門学校に進学することを高校卒業後の進路選択から除外しているため、大学進学希望者と比べ社会に出るのが早いぶんだけ、どうしても10代での妊娠・出産に対して抑制的になりにくい。
上述した言葉を繰り返せば、「もっとゆっくり大人になっていい」はずなのに、どういった理由であれ、早く大人になることを社会から迫られているがために、10代であろうと、大人であることのひとつのシンボルである妊娠・出産を経験する少女たちが多いのである。

ここで少し概念的な話をすれば、フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの『<子供>の誕生』を思い出してもいいだろう。
彼によれば、<子供>という概念が誕生したのは、近代的な学校教育制度が始まった17世紀ごろであり、それ以前の中世では、7〜8歳になる前の人間は<動物>と同じように扱われ、7〜8歳以降は<大人>の一員と見なされるようになったらしい。
言語的コミュニケーションが取れるようになってから<大人>として扱われるようになり、中世社会には身体的な子供は存在しても、概念的な<子供>は存在していなかったのである。

その意味において、近代学校教育制度が他県同様に整っている現代の沖縄にも、当たり前のように<子供>は存在しているが、前回のエントリーで軽く触れたように、前近代的な慣習がいまだに色濃く残っている部分があることを考え合わせると、早く大人になることを強いられている沖縄の少女たちの存在は、完全であるかのように映る近代学校教育制度では覆いきれなかった沖縄社会のなかにあるほんの小さな隙間から見える、前近代的な<大人>だと言えるかもしれない。
これを本土とは違う「沖縄らしさ」のひとつとして今後も残していくべき慣習なのかどうかは非常に難しい問題だと思う。

話を戻せば、どちらにしても、沖縄の合計特殊出生率(2015年度全国平均1.46に対し沖1.94)が全国一高いことと大学進学率(2016年8月公表のデータでは全国で唯一40%を切っているのが沖縄のみで数値は39.2%)が全国一低いことは強い相関関係にあると言え、すなわち貧困によって大学進学の選択肢が断たれることで出生率が高くなるという仮説が成り立つと考えられる。

貧困と学力との相関性

さらに言えば、貧困と学力のあいだにも強い相関性があるため、ただ単に経済的負担が原因で大学進学ができないだけでなく、大学に進学するほどの学力を有していない子どもの割合が貧困世帯ほど高いことが、貧困問題に拍車をかけている。
大学全入時代に入った現代において大学にも専門学校にも進学しない理由は、
1、ただ単に経済的な問題だけを抱えているケース(経済的な問題)、
2、経済的な問題だけではなく学力的な問題も抱えているケース(経済的な問題と学力的な問題)、
3、そもそも高校卒業後に進学してまでこれ以上何かを学びたいとは思わないケース(学習意欲の問題)、
4、もしくは大学進学では叶いきれない夢や野望を抱いているケース(ネガティブな問題の不在)、
のいずれかに該当すると思うが、4が理由で大学に進学しないケースは圧倒的少数派と考えられるためひとまず除外するとして、1か2か3のケースが大半である前提で話を進めると、2と3が理由で大学進学を選択しない場合は非常に多い。
そして、2の後半部分と3は密接につながっており、学力的な問題が原因で学習意欲を持つことができずに大学進学を進路選択として除外するケースが存在することを考えれば2と3はまとめることができ、したがって大学に進学しない理由は、経済的な問題と学力的な問題の両方を抱えている場合がもっとも多いと言うことができるだろう。

前述した県の調査を思い出してもらいたい。
希望する進路を「高校まで」と答えた生徒にその理由を聞いたところ、「進学に必要なお金が心配」「大学に進学できる学力がつかないと思う」と回答した生徒がもっとも多いことが分かったと同報告は結論づけている。
つまり、経済的な問題に劣らず学力的な問題も大学に進学しない理由としてもっとも多いと結論づけているわけだが、この2つの理由は、それぞれ独立して存在していることもあるが、どちらかといえば密接に結びついていることのほうが多く、いわば経済格差と学力格差は連動していると言っていい。
これは別にぼくだけが主張しているのではなく、前々から巷間叫ばれており、貧困が日々再生産されることで社会階層が固定化しているのではないかとの疑義を呈する研究や、経済格差と学習に対する意欲格差は関係しているとする研究はたくさん存在する(代表的なものを挙げれば教育社会学者の苅谷剛彦が著した『学力と階層』など)。

すなわち貧困問題は学力問題でもあると言えるケースが非常に多く、『裸足で逃げる』の少女たちの話に戻せば、彼女たちの身に起こった壮絶な体験の数々は、ある程度の基礎学力があれば回避できた場合がほとんどである。
たとえば、どういった男性と交際するのか、あるいは恋人とのあいだに何か事が起きた場合にどう解決するのかなどその多くは未然に防ぐことのできる問題のはずなのに、基礎学力のなさが原因で、深刻なことに、少女たちは壮絶な体験の数々を自分の身に引き寄せてしまっている。

「裸足で逃げる」必要のない社会のために

ただし、ここでぼくは、彼女たちに責任を転嫁したいわけじゃない。
何度も繰り返してきたように、貧困問題と学力問題は非常に複雑に絡み合っており、全国一貧困世帯の割合が高い沖縄という地域に生まれ育ったことで学力的にも問題を抱えるはめになったがゆえに、彼女たちは壮絶な体験の数々に自ら巻き込まれる結果を招いたのだと言いたいのである。
前回述べたように、現代が資本主義社会である以上、沖縄の貧困は構造的に決定づけられており、したがってこの問題は非常に奥深いところで根を張っていると言わざるを得ない。
何かしらの手を早急に打つ必要に迫られるところまで来ているが、夜の街で生きていくしかなす術を持たない沖縄の少女たちが「裸足で逃げる」必要のない社会をつくっていくためにしなければならないことは本当に多く、そしてあまりにも重い。

 

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (at叢書)

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〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

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学力と階層 (朝日文庫)

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