砂川ひろのりの日記

政治・経済・社会批評について

21世紀社会に生きる子どもたちのための処方箋:宮古高校普通科に通う生徒が取るべき戦略(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑮)

前回は、21世紀社会を生きていくにあたり、宮古高校理数科の生徒に焦点を合わせた具体的な処方箋について書いた。
現行の二クラス制から一クラス制にし、高校受験時の合格点を240〜250点に引き上げることで平均学力を大幅に引き上げつつ、さらには21世紀型能力の養成に重点を置いた授業も積極的におこなっていくことで、選び抜かれた21世紀型エリートを1人でも多く生み出す学科として、理数科を生まれ変わらせる提案をしたのだった。
そこで今回は宮古高校普通科の話をしていくことになるが、理数科が難関大学を目指す生徒だけが通う学科にするのとは対照的に、普通科は大学進学を積極的に目指すわけではない生徒が通う学科に定義し直すつもりでいる。
ではさっそく、以下でいくつかの理由を詳述していくことにしたい。

学業的負担を軽くし、自主性と社会性を育む 

1つ目の理由は、生徒の学業的負担を軽くし、自分が自由に使える時間を確保することで、学校外の時間に、自主性と社会性を育んでもらうためである。
これだけの量の宿題や家庭学習が課されるのは、理数科の生徒だけでなく、普通科の生徒もしっかりと学力を伸ばして大学に進学してほしいと、宮古高校の先生が考えているからだと思われる。
しかしよく考えてほしい。
普通科の生徒が進学する大学の質は、宿題や家庭学習を課すことで一体どれだけ上がったと言えるのか。
正直なところ僕の目には、宿題や家庭学習がなかった時代と比べて、いまの普通科の生徒が進学する大学の質がそこまで向上しているようには見えない。
これまで何度も述べてきたように、宿題や家庭学習の恩恵を受けているのは、「高学歴化」したごく一部の生徒に限っている。
したがって、その他多くの生徒にとって宿題や家庭学習とは、単に有害でしかない邪魔物になっているとさえ言うことができるだろう。
しかも、いまが21世紀社会である以上、20世紀的価値観の信奉者である「高学歴化」した生徒ですら、宿題や家庭学習の恩恵を受けたというよりは、むしろ知らず識らずのうちに実害を被っていると見なせるため、結局のところ、宿題や家庭学習によって得する人が誰もいないという何とも奇妙な現象が生じているのである。
宿題や家庭学習があろうがなかろうが、普通科の生徒が進学する大学の質が向上していないのなら、授業外での勉強を強いる現行制度をいっそのこと改めて、それ以上の勉強をするかどうかは、生徒一人ひとりの意思に任せてみてはどうだろうか。
そもそも強制されておこなう勉強をいくらしても学力が伸びることなどあり得ず、そんなことは少し考えれば誰にでも分かるはずだ。
まさにこの点に、普通科の生徒が進学する大学の質がそこまで向上しない理由があることに、宮古高校の先生は早く気づいたほうがいい。
普通科が積極的に大学進学を目指すさなくていい学科に生まれ変われば、先生が生徒に対し、学業的負担を過度に課さなくなることが期待できる。
そうなれば、学校外の時間を勉強に充てる生徒が減っていき、本当に自分がしたいことに時間を使う生徒がどんどん増えていくだろう。
このあたりの話は前々回書いたので詳細は省くが、学業的負担が減り、学校外の時間で自主性と社会性を育んでもらうことが可能になると、21世紀社会を生きていくために必要な「社会性にフォーカスした非認知的能力」である21世紀型能力を身につけることが容易になる。
高校生にとって、というよりも小中高生全体にとって、自主性と社会性を育むこと以上に大事なことは何もない。

受験に偏った授業を減らし、21世紀型能力の習得を目指す

普通科を、大学進学を積極的に目指さなくていい学科にしたほうがいい2つ目の理由は、受験に偏った授業を減らすためである。
最初に結論を述べておくと、その理由もまた、20世紀的価値観を相対化し、21世紀型能力を養成するための時間を確保することを目的としている。
受験のために必要だからという理由で、主要5科目の授業に多くの時間が割り当てられているのが現在の状況であり、受験では役に立っても、それ以外の場面では基本的に役に立たない授業があまりにも多すぎる。
たとえば、国語の授業なんかは単に文学鑑賞の時間でしかなく、しかも単に文学鑑賞するだけならまだいいが、「作者の心情」を推測させたり、その話を読んでどう思ったかなど、一体何のためになるのかよく分からないような内容で埋め尽くされており、学力向上との関係性がまったく見出せない。
国語を一例に挙げたが、このような科目はほかにもまだたくさんある。
主要5科目だけじゃなく、自己表現力(情報発信力)について書いたエントリーでも述べたように、20世紀の遺物である4技能科目の授業時間数も依然としてかなり多い点を考え合わせると、難関大学を目指す理数科が21世紀型能力を養成する授業を1日1時間だけ取り入れるところを、普通科はもっと多くの時間を割り当てていい。
難関大学に進学できる可能性が低い普通科に通う生徒の命運は、受験学力にあるのではなく、21世紀型能力にあるからである。
受験学力が高くても21世紀型能力がなければ、結局のところ、21世紀社会を生き抜いていけなくなるのであれば、理数科と比較して学力がそこまで高くない普通科の生徒こそ、積極的に21世紀型能力を身につけるための授業をたくさんするほうが得策になるのは間違いない。
グループディスカッションやディベートあるいは実用的な英語教育や情報教育など、21世紀型能力を身につけるために役立つ授業はいくらでもある。
さらには、職業について考えてもらう時間として、各分野で活躍する第一人者をゲストスピーカーとしてお呼びし、今まで知る由もなかった職業を知ってもらうことで、将来就くであろう職業の選択肢を広げる機会を設けるのもいいかもしれない。
何にせよ、理数科と比べると学力を伸ばすことが容易ではない点をはっきりと認めたうえで、そのほかの分野(ここでは21世紀型能力)では負けないようにするための戦略を取っていくほうが、普通科の生徒にとってははるかに意味がある。
かろうじて進学する価値のある難関大学を目指すほどの学力を持っていないのなら、大学進学の価値が急激に下がっている現代の趨勢に照らし合わせて見た場合、そもそも大学に進学したほうがいいのかどうか根本的な部分から考え直す必要があり、普通科の生徒は大学進学のほかに取るべき選択肢がいくつもあることを真剣に考えてみたほうがいいだろう。
周りが進学するからというだけの理由で、何の熟考もなしにとりあえず大学進学することほど安易で愚かしい考えはない。

職業訓練の場として不適切な大学

普通科を、大学進学を積極的に目指さなくていい学科にしたほうがいい3つ目の理由は、現在の大学では実務的な知識やスキルを学ぶことができず、職業訓練の場としては不適切だからである。
ここまで何度も述べてきたように、現在、大学に進学する価値は急激に下がってきている。
その理由はいくつかあるが、とりわけ、大学の授業で学ぶ知識やスキルが、社会に出てからまったくと言っていいほど役に立たないことが、その理由のひとつに挙げられる。
煩雑になるため、ここでは歴史的な経緯については触れないが、簡単に述べるにとどめておくと、日本にある大学の大半は、職業訓練の場としてではなく教養主義的な場として存在している。
むしろ、職業訓練の場となることに率先して抵抗していると言っていいくらい、ほとんどの大学生にとっては無益な、教養主義的な授業に偏った教育がおこなわれているのが現状である。
一部の大学をのぞき、いまの大学は教育機関としてはまったく機能しておらず、しかも、そのカリキュラムからして、社会との接続が上手くいっていないため、存在意義が疑われるようになっても何ら不思議ではないとすら言えるところまで来ている。
唯一残る大学の価値はシグナリング機能にあり、学歴の高低によって、将来就くことができる職業が変わるという効果のみを持つだけとなった。
しかも、IT化とAI化の進展にともない、その効果もいずれは失われていく以上、難関大学をのぞき、もはや大学に進学する価値は今後も小さくなると見て間違いない。
もし仮に、僕が普通科の生徒に何かアドバイスをするとしたら、実務的な知識やスキルが身につけられるような環境を、卒業後の進路に選択したほうがいいと言うだろう。
すぐに思いつくのは専門学校で、そこでは大学と比べてはるかに専門的で実務的な知識とスキルが習得できるし、卒業後の就職につながりやすい学習環境も整っている。
あるいは、学校に通わずに、実際に働き始めてみるのもいいかもしれない。
可能なら、僕はそちらのほうをおすすめする。
学校でのお勉強としてではなくて、実際に働きながらのほうが、知識もスキルも格段に早く身につけられるだろうし、学歴ではなく即戦力を求める企業の多さを考えると、大学や専門学校に行くよりも、社会的に成功する確率が今後ますます高まっていくと僕は見ている。
どこかの段階で失敗することがあったとしても、大学で4年もの月日を費やす無駄を重ねていないため、何度でもやり直せる時間を持っている利点も、その魅力のひとつに数えられる。
ただし、難関大学に進学できるほどの学力を持っていない場合の話であることは、一応言い添えておく。
いきなり海外に出てみるなど、ほかの選択肢ももちろん考えられるが、これ以上は各自で考えてもらいたい。
いずれにしても、20世紀型の単線的な人生を生きる人が減り、21世紀型の複線的な人生を生きる人が今後ますます増加していくのが間違いない以上、「とりあえず大学に進学」という思考停止的な考えを改めて、その他多くの選択肢を吟味し、どうすれば社会的に食っていけるかを試行錯誤しながら自分なりに考えていくことが、より一層求められるようになるのは言うまでもない。

以上、宮古高校普通科を、積極的に大学進学を目指さなくていい学科に定義し直したほうがいい理由を縷々述べてきた。
最後に要約すると、社会に出てから食っていくには、従来の学校的価値観を相対化し、21世紀型能力を身につけることがきわめて重要になってくるため、難関大学じゃなければ、大学に進学する必要性は失われつつあるとまとめることができる。
「学校化社会」を超えていけるか。
21世紀社会に生きる高校生は、いままさに岐路に立たされている。

(続く)