砂川ひろのりの日記

政治・経済・社会批評について

21世紀社会に生きる子どもたちのための処方箋:宮古高校理数科の存在意義の立て直し(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑭)

前回は、「宿題の廃止とテストの削減と校則の緩和」について自説を展開した。
改めて簡単にまとめると、「学校的価値観を相対化し、自分が本当にしたいことのための自由な時間を確保する」ため、そして「先生との関わりを減らし、逆に子ども同士で関わる時間を増やすことで社会性を育む」ために、「学校との接点をなるべく減ら」していくべきだと説いたのだった。
この話は宮古の小学生から高校生まで広く当てはまる総体的なもので、もちろん「高学歴化」した者にも「ヤンキー化」した者にも該当するし、それどころか「高学歴化」「ヤンキー化」する以前のまだ何者でもない子どもたちにも該当する話である。
下は小学生から上は高校生・浪人生までの勉強や生活態度を見てきた数少ない経験者のうちの1人として、宮古の教育環境を根本から立て直すために取るべきだと思った処方箋を、前回のエントリーで何一つ隠し立てすることなく述べたのだが、総体的に広く当てはまる話であっただけに、本当はもう少し突っ込んだところまで言及すべきだったのかもしれない。
そこで今回は、前回の続きとして自説を拡大しつつ、高校生に特化したうえで、ややラディカルな主張を展開していくつもりでいる。
しかし、ラディカルではあるものの、ひとつの思想的態度もしくは教育的理念にもとづいた主張であることはあらかじめ言い添えておく。
前々回述べたように、マクロな共同体として救うことは無理でもミクロな個人として救うことが可能となるのなら、前回の提言含めて僕がここで提示する処方箋は、実現不可能な単なる理想論などで終わったりはしないだろう。
学校の制度ががらりと変わったりすることがあり得ないのは分かりきったうえで、それでもなお、わざわざこうしたブログを書いているのは、いまの子どもたちのなかから、いつか誰かがこのブログを読んで実際に行動に移してくれることを願っているからである。

以前書いたように、いまの宮古高校を学力の観点から見ると、上位層が「高学歴化」したことを除けば、残りの生徒は今までと特に変わらない学力しか有しておらず、全体的に学力が向上したかといえば、残念ながらお世辞にもそうは言えない状況にある。
にもかかわらず、冗談みたいな話をすると、僕らの高校時代と比較した場合、宿題や家庭学習の量は大幅に増えた。
確かに、「高学歴化」した者のなかには、宿題や家庭学習のおかげで学力が上がったと考える人もいるだろう。
しかしそれは一部の生徒のみに限った話であり、特に普通科の生徒にとっては、宿題や家庭学習によってどのくらいの人数が恩恵を受けたかといえば、とてもじゃないが、その数はわずかしかいないと言わざるをえない。
むしろ勉強嫌いを増やすだけの結果を招いてしまったとさえ言える。
本格的に受験勉強をしてそれなりの大学に行こうとする生徒は、以前より少しは増えたものの、それでもまだごく一部しかいないのに、全生徒に対し一律的に宿題や家庭学習を課すいまの宮古高校の方針は、やり方として一体どうなのか。
単に縛りをきつくすることで全体的な学力向上を図ろうとする宮古高校の安易な態度に、僕は思考の形跡を確認しない。
そこにあるのは、20世紀的価値観をいまだに信奉する「学校化社会」の住人たちの時代遅れな認識にもとづく教育的失敗である。
まず、この点をはっきりと認めなければならない。
そのうえで、もし何かしらの成果を上げるとしたら今後何をすべきなのか、できることを一つひとつ考えてみることが今回のエントリーを書く目的となる。

上述したような失敗が生まれるのは、おそらくは宮古高校の先生が、理数科と普通科の存在意義の違いをあまり理解していないことが大きな原因なのではないだろうかと個人的には考えている。
あるいは、理数科開設当初に両学科の役割の違いを作らずにそのまま来てしまったことが原因なのかもしれない。
いずれにせよ、僕ならまず、両学科の役割をはっきりと分けるところから着手する。
具体的には、理数科は難関大学を目指す生徒だけが通う学科にし、普通科は大学進学を積極的に目指すわけではない生徒が通う学科にするのである。

最初は理数科について。
まず、現行の二クラスから一クラスに減らし、さらには高校受験時の合格点を300点満点中の240点〜250点にまで引き上げる。
その理由は、理数科の平均学力を普通科のそれと比べて段違いに高くすることで、両学科の役割をはっきりと分けることができるようになるからである。
高校説明会では、理数科の存在意義を各中学校にあらかじめ強調することで、学科選びの段階からフィルタリングをおこなうようにし、両学科の役割の違いが高校受験生のあいだにより深く浸透していくように心がける。
正直なところ、いま理数科に通う生徒の学力はきわめて中途半端なものだと言わざるをえない。
0校時があったり、夏期講習への参加が義務づけられていたりと、進学校的なカリキュラムを組んでいるわりには、理数科在籍者80人中、カリキュラムに見合う大学に進学する生徒は、そのうちの半分を下回る。
そもそも宮古の学力自体がそこまで高くなく、そのなかの成績上位80人が何のフィルターもなしに、そのまま理数科に進学できてしまう現行制度では、理数科の学力が中途半端なものになってしまうのは、当然といえば当然の話である。
少子化の現在、定員数はほとんど機能していない。
しかも、理数科ではなくあえて普通科に進学する生徒がいる点をも考え合わせると、いまの状態では、学力的に見て一体何のために理数科が存在するのかよく分からなくなるのも無理はない。
だからこそ、理数科の平均学力を普通科のそれとは比べものにならないほど大きく引き上げて、難関大学を目指す生徒だけが通う学科にし、理数科の存在意義を際立たせることがきわめて重要になってくるだろう。

ではなぜ、難関大学を目指す生徒だけに限定するのか。
それ以外の大学を目指す人が理数科に進学しないほうがいいのは一体なぜなのか。
その理由は、端的に言って、大学進学の価値がどんどん小さくなってきているのが21世紀社会だからであると言っていい。
正直なところ、現在日本に存在する大学のうちで、進学する価値のある大学は手と足の指で数えられる程度しかない。
実験が必要な理系学部ならもう少しあるのかもしれないが、少なくとも文系学部のなかで進学して将来的に意味のある大学は本当に少ない。
大半の大学は、教育機関として機能していないと言うほかない状況にある。
IT化やAI化がますます顕著になっていく21世紀社会においては、そもそも大学に進学するべきか否かといった段階から考え直していく必要に迫られており、僕が宮古高校普通科を、大学進学を積極的に目指すわけではない学科にすべきだと考える理由も、ここにある。
普通科の話は次回する。
難関大学と呼ばれるような大学になら、かろうじて進学する価値がまだ残っているため、理数科に通う生徒は、難関大学を目指す生徒だけに限定したほうがよく、それを確実に遂行する目的で、二クラスから一クラスに減らし、さらには高校受験時の合格点を240〜250点に設定し直したうえで、平均学力を大幅に引き上げることは、あながち突飛な提案ではないだろう。
ただし、大学受験の結果、仮に難関大学に落ちたとしても、特に問題があるわけではないことは言い添えておく。
なぜなら、あくまでそこを目指して学業に取り組む姿勢を見せられるかどうかのほうがより本質的な点だからであり、理数科の平均学力を引き上げるためには、受験結果以上に、ひとつの雰囲気を全体的に醸成できるかどうかのほうがより重要だからである。

また、理数科在籍途中に難関大学を目指すことを止めたい生徒が出てきた場合の措置として、学期ごとに、普通科に転科する制度を設ける。
この制度により、プレッシャーに耐え切れずに「受験うつ」に罹る生徒が出てくるのを防いでいく。
このあたりは少々荒っぽい提案であるため、もう少し思考の余地があることは認める。
しかし、大筋の枠組みとしては、悪い線をたどっていないのではないかと思う。

そして、このあとの話がかなり重要になる。
ここまで述べた提案だけで終わるとすれば、僕が何度も批判的に言及してきた20世紀的価値観を脱することができないどころか、今まで以上に受験に特化したクラスになるため、理数科の生徒はますます20世紀的価値観に染まってしまう危険性があるだろう。
それだけは何としても避けなければならない。
そのためには、平均学力を大幅に引き上げつつも、21世紀型能力を身につけるための授業をきちんとおこなっていく必要があるのは言うまでもない。
ひとつ注記しておくと、前回提言したように、理数科も宿題の廃止とテストの削減を実施し、学校との接点を減らしていけば、自然に自主性と社会性を育むことができるだろうから、学校の授業でわざわざ21世紀型能力の養成に力を入れる必要はなさそうに見えるが、難関大学進学希望者が在籍する学科である点を考慮すると、学校外の時間でも受験勉強に充てる生徒が多いのは目に見えているため、やはり学校の授業のなかで、21世紀型能力を養成していくことが肝要であることに変わりはないだろう。
理数科には、0校時含めてかなり多くの授業がカリキュラムに組まれているが、このカリキュラムを大きくいじり、21世紀型能力について言及した3回にわたるエントリーで紹介したいくつかの学校の事例のように、グループディスカッションやディベート、あるいは英語での意見発表など、都市部の進学校や中高一貫校ですでにおこなわれているような先進的な内容の授業を、1日1時間でも取り入れていけば、大幅に引き上げられた平均学力を維持しながらも、21世紀型能力の養成をしていくことが可能となるはずである。
さらに付け加えれば、海外の高校と提携し、授業の一環として定期的にスカイプでコミュニケーションを取れるような仕組みを作ることで、宮古にいながら国際感覚を育むことだって大いに期待できるかもしれない。
言ってしまえば、選び抜かれた21世紀型エリートを1人でも多く生み出していくための学科として、理数科を生まれ変わらせるのである。
以上が、いまの子どもたちが21世紀社会を生きるにあたり、効果的だと僕が考える処方箋のうちの宮古高校理数科に焦点を合わせた具体案となる。
次回は、宮古高校普通科について書く。

(続く)