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砂川浩範の日記

自分の頭で考えたことを週1~2ペースで更新予定。

20世紀的価値観のなかで勉強に励む「高学歴化」した宮古の中高生(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑦)

宮古のいまのヤンキーたちの実態について、「学校化社会」を下敷きにしながら、⑤、⑥と文章を書き連ねてきたが、7記事目となる今回は、「高学歴化」した中高生たちに話を戻して書いていこうと思う。
というのも、「高学歴化」した宮古の中高生たちを、「学校化社会」の光と影の「光」の部分にこれまで位置づけてきたのは、本当に正しかったのか今一度考えてみたいからだ。
以前書いたように、近年の宮古高校の大学合格実績は以前とは比較できないほど目覚ましいものになっている。
これは明らかに「学校化社会」によってもたらされた賜物だと言っていいだろう。
その点には完全に同意する。
ただ、今回僕が問いたいのは、いまの時代に毎日の宿題や家庭学習の義務付けを課すような教育を小学生や中学生のうちからすることに一体何の意味があるのかという点についてと、そして、高校入学してから間もないうちに受験を意識した勉強をさせることに、これまた一体何の意味があるのか疑問を投げかけてみたいからだ。
20世紀までなら、島あるいは学校を挙げて、このような教育をすることに少なからず意味はあったかもしれない。
しかし、いまは20世紀が終わってすでに20年が経とうとしている2017年である。
20世紀など、もはや遠い過去の話でしかない。
にもかかわらず、20世紀で良しとされてきた価値観(すなわち「学校的価値観」!)をいまだに評価基準の根幹に据えて学校教育が行なわれているというのは、まるで20世紀で時間が止まってしまったかのような錯覚を覚える。
沖縄の人が自らの島を自虐的に形容するときによく使われるフレーズのひとつに、「沖縄は本土に比べて30年遅れている」というのがあるが、この言葉は、あながち間違ってはいない。
ただし、本人たちが意図するところとは別の意味で。
30年遅れているのは、経済というよりもむしろ教育のほうである。
すでに東京では、20世紀的な学校的価値観を乗り越えようとする先進的な試みがさかんにおこなわれており、実際にある程度成功している実例だって存在している。
単に受験勉強が得意なだけで、現代の流動的な社会では使いものにならないような人(すなわち歩兵!)を量産する従来の学校教育の反省が、いま急速に求められるようになったのだ。
にもかかわらず、ここ宮古で、1980年代か90年代の東京に戻ったかのような旧態依然の学校教育が当たり前のようにまだおこなわれているのには、本当に驚くほかない。
なるほど、30年前が確かにまだ20世紀だった点を考えると、沖縄のそのまた離島である宮古で、いわゆる「学校的価値観」のなかで教育がおこなわれているのは、仕方がないこととして大目に見てやることもできるかもしれない。
ただし、そのせいで被害を受けるのは、ほかならぬいまの中高生たちである。
宮古で生まれ育ったとはいえ、いまの中高生たちは、いずれ島を離れる。
そしてその多くが東京や大阪などの大都市で生活をする。
そこでの生活は、あらゆる秩序が固定的な宮古とは違い、働き方も人間関係もかなり流動的である点に加えて、宮古では起こり得ないような不可測な事態に遭遇することも往々にしてあるがゆえに、まさに20世紀的価値観ならぬ21世紀的価値観がどこよりも強く必要とされる。
補足すると、21世紀的価値観とは、従来の学校教育ではなかなか習得できないような能力を指す価値観のことだが、大まかに言えば「思考力・判断力・表現力(発信力)・対話力(コミュニケーション力)・事態対応力」といったような、テストの点数では推し量ることのできない力の獲得に重きを置いている。
だとすれば、もし本当に、いまの子どもたちに、これからの時代をしっかりと生き抜いていく力を身につけてほしいと望むのなら、この「21世紀型能力」を学校教育の早い段階で身につけさせることが、本来ならば求められるはずではないのか。
にもかかわらず、いまだに「20世紀型能力」、たとえば単なる暗記ゲームに過ぎないような”記憶力”を競う形式のテストや、パターン化された数多くの問題を時間内に素早くこなしていく”事務処理能力”など、ITの発展やAIの進化あるいはグローバル社会の進展により、機械に取って代わられるような能力を身につけるための教育が、何の疑いももたれることなく平然と行なわれているというのは、これからの時代を生きる中高生たちにとって、どれほど役に立つというのか。
その危険性に気付いている宮古の大人はきわめて少ない。
皮肉なことに、宮古全島の小中学生がひたすら宿題や家庭学習に励んだり、あるいは宮古高校の生徒が大学合格の実績を近年どんどん伸ばしているのとは対照的に、世の中はまったく違う別の方向へと進んでいっていることを、当の小中高生たちも、そして学校や塾の先生ましてや保護者たちもまったく気づいていない。

(続く)