読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

砂川浩範の日記

自分の頭で考えたことを週1~2ペースで更新予定。

「宿題」に時間を奪われる子どもたち(宿題ばかりしているいまの子どもたち②)

僕がこれだけ宿題に対して否定的な意見を持っている理由は、端的に言うと、子どもの自由な時間を奪ってまでするほど価値あることなのかきわめて疑わしいと考えているからだ。
むしろ宿題に割く時間が増えることで生じてしまう弊害のほうが甚大で、この点が見過ごされたまま、あるいは十分に検討されないまま、子どもたちの頭上には毎日のように宿題が降りかかってきているのではないか。
僕にはどうも、宿題という悪しき慣習が、子どもたちのために行なわれているとはあまり思えず、どちらかと言えば、大人たちの自己満足のために行なわれているのではないかという気がしてならない。
これまで何度も述べてきたように、子どもにとって大事なのは、まず第一に自分が自由に使える時間が与えられることだが、宿題はその大事な時間を子どもから奪ってしまうことを意味する。
その自由な時間に何をするかはもちろん人それぞれ違うだろうが、自身の好奇心にしたがうのであれば、何したってかまわないだろう。
友だちと遊んだり、恋愛したり、部活したり、映画観たり、一人でふらっと遠出したりなど、多感な時期にあたる子どものうちにやっておきたいことは数えきれないほどたくさんあるはずだ。
それが仮に勉強だったとしても、本人の自由意志に基づいていることが前提条件にはなるが、それはそれで一応のところ問題はない。
強制されてやらされる宿題がいけないのであって、勉強すること自体がいけないのではない。
むろん勉強するにしても、本人が本当に「それをしたいのか」どうかがまず問われるべきだと僕は思っている。
「……したくもない勉強を強制されてすることほど無駄な時間の使い方なんて存在しない」と、以前述べたことがあるが、それは何度強調してもし過ぎることはない。
ただし、勉強以上に大事なことが数多くある点については、しっかりと理解しておいてほしい。

宿題の弊害はほかにもある。
全生徒に対して毎日のように宿題が課せられているにもかかわらず、宮古の小中高生の成績が全体的に向上したかと問われれば、とてもじゃないが、そうは言い切れない。
勉強ができない生徒は、宿題があろうがなかろうが、できない状態のままに留まっているし、勉強ができる生徒にとっては、宿題があることで逆に、自分が本来すべき勉強が妨げられており、先生を除いて得する人が誰もいないという何とも奇妙な事態が生じている。
確かに宿題をすれば多少は成績の向上は見られるかもしれない。
しかし勉強に意欲的でない生徒にとっては、宿題とはただ空欄を埋めるだけの作業に過ぎず、単に提出し、先生に怒られなければそれでよく、宿題を理解したかどうかなんてまったく気にしていない。
つまり、彼らにとって宿題は意味を成していない。
前回述べた「毎日1ページ義務付けられた家庭学習」についても同様で、成績の向上にはまったく関係がないような「リード文」の書き写しから始め、とりあえずページを埋めることに終始する作業を毎日繰り返しているだけになっている。
いま塾で教えている中学生に「問題文なんて書き写しても時間の無駄なんだけど」と話をすると、その中学生は「問題文を書き写さないと、どんな問題を解いてきたのか先生が分からなくなるよ」と返答してきたのだが、こんな作業が果たして勉強と言えるだろうか。
断言するが、この生徒のような家庭学習を毎日毎日積み重ねたとしても、学力が向上することなど絶対にあり得ない。
そのことを分かったうえで、学校の先生が家庭学習を毎日1ページ義務付けているのだとすれば、それは先生自身が学力向上のメカニズムをまったく理解していないことになる。
でも、本当は先生も気づいているんじゃないか。
宿題が子どもたちにとってほとんど意味を持っていないということを。

(続く)