砂川ひろのりの日記

政治・経済・社会批評について

感情の劣化に抗うには

「感情を湧き立たせるためには、現実と摩擦を起こすことがどうしても必要で、現実を避けていると、感情は劣化していく。」
というフレーズが、宮古に帰ってきて久しぶりに再会した知人と接したときに、ふと頭をよぎった。
以下は、これまで本の世界に生きてきた僕が自分に言い聞かせるために書いた文章だと思って、差し引いて読んでほしい。

感情というのは、実は生得的なものではない。
鍛えることもできれば、錆びつくこともある後天的なものだ。
インターネットと一定の距離を取ろうと自然と考えてしまうのも、現実世界で生きる時間をなるべく多くしたいと無意識的に考えているからで、感情が錆びつくことに一種の恐怖感を覚えているからなんじゃないかと自分では考えている。
喜怒哀楽をなくした人間ほど非人間的な人はいない。
感情の劣化は精神の劣化で、とどのつまり、最たる意味での老化だと言ってよく、それは人間から生命力を奪っていくものだ。
そのくらい感情の劣化には細心の注意を払ったほうがいいのではないか。
確かに、歳を重ねるにつれて少しずつ感情が劣化していくのはある程度避けようがない。
それゆえに、なんとかその進行を食い止めるような行動を日々取っていかなければならなくて、その唯一の方法が、現実の世界に身を置き続けるということに他ならない。
インターネットだけではなく、本やテレビあるいは新聞なども、適度な時間を超えて接すると感情の劣化につながっていく。
そういえばスティーブ・ジョブズは「インターネットは確かに驚異的な発明だが、感動を呼び起こすことはない」と言っていた。
よく書いているように、僕が考える「いっぱしの大人」(宮台先生の言葉で表現すれば「ひとかどの人物」)とは、数多くの経験を積み重ね、現実世界に精通した、感性豊かな人のことを指すが、これは数少ない真理のひとつに数えていいと思っている。

でも、現実世界に身を置き続けるのは、言葉にするほど簡単なことじゃない。
「現実逃避」という言葉があるように、数々の苦難が原因で現実から逃げ出したくなることは当然のように誰にでもある。
だから一時的に現実から逃避することがあるのはある程度仕方がないにせよ、それでも必ず戻ってくること。
誰かを傷つけ、そして誰かに傷つけられるのを恐れないこと。
実際に自分で経験してみないとその物事の本質を理解することはできないと知ること。
よく「リスクを恐れずに挑戦することが大切だ」と言われるのも、成功のためというよりは、むしろそれ以上に、挑戦し現実と摩擦を起こすことで生命力を維持し続けられるからなんだと思う。
感情の豊かさが人間としての生命力を担保するものである以上、現実と衝突し摩擦を起こすことでその都度感情を湧き立たせていくことは、ヒトが「人として」存在するための絶対条件としてどうしてもなくてはならないものなのだ。

海外放浪に出る前に餞別をくれたその知人と久しぶりに再会して「おかえり」と言われたとき、僕としてはまさかまた宮古に戻ってくるなんて頭の片隅にもなかったことだったから、正直あまり嬉しくない労いの言葉だった。
見通しの甘さから、いわば現実に負けて帰ってきたようなものだったから。
「ただいま」と返事するしか他に言いようのないそのときの状況に、現実世界に身を置き続けることの困難さを改めて知ったのだった。