砂川ひろのりの日記

政治・経済・社会批評について

また浮き上がるために

どのくらいの期間か忘れたけど、大学2年生のころ、ブログを書いていた時期があって、でもそのあと結局やめてしまったのは、自分の書く文章が下手くそすぎたのと、そしてそれ以上に、外に向けて何かを発信するほど僕の中には中身らしい中身が何も存在していなかったからだった。
今振り返ると本当にどうしようもないブログを書いていて、当時を思い出すだけで自分のあまりの未熟さに顔から火が出そうにさえなってしまう。
未熟なのはブログの内容だけではなくて生活全般に言えることだったけど。
そういうこともあってか、未熟な自分を克服するために、僕は他人と積極的に交わることを意識的に避けるようになり、本の世界に沈んでいくことになる。
いっぱしの大人になるためには知識と教養を身につけることがまず何よりも必要だと勘違いしてしまったのだ。
それから7年近く経って(うわ、そんなに経ったんだ…)、本当に久しぶりにいまこうして文章を書いているけど、あのときの自分と比べて一体どれだけの中身が付与されたのか、正直なところ心許ない。
確かに本は読みすぎるくらい読んできたし、それなりに知識も教養も身についただろうし、多くの人間が挫折するほど理論的に難解な本だって少し時間をかければちゃんと読める程度には読解力も培ってこれたことは間違いない。
でも海外放浪を経験してきた今となっては、そういう風にして本の世界に沈み込んできたことは、壮大なる時間の無駄だったかもしれないと考える気持ちのほうが強くなった。
少し考えれば分かるように、本の世界など現実世界と比べればあまりにも脆弱なものだからだ。
その脆弱な世界で生きてきた人間が、自分の思い通りにならないことが普通に起こるこの現実の世界で生き延びることなんか、そう簡単にできるわけがない。

「いっぱしの大人」とは、人生の酸いも甘いも噛み分け、数多くの体験を積み、そこから得た自分なりの教訓(経験知)に従って生きる者のことを指すのであり、間違っても本を大量に読み込んで知識だけを蓄えた者のことを指すのではない。

本当に頭の良い人には、この経験知が豊かに備わっているのだ。

もしかすると、知識などほとんどなかった大学2年生のときのほうが人間的には今よりマシだったんじゃないかと思うことさえあって、そう考えるたびに激しく落ち込んで憂鬱になるわけだけど、この7年間の自分の人生をちゃんと肯定できるようになるためには、さらに長い年月を要することになると思う。
ちゃんと肯定できる日はやってこないかもしれない。
もっと言うと、大学1・2年生のころよりも大学受験をする前の高校時代のほうが人間的にマシだった可能性さえあるし、「大学なんか行かなくていい」と常日頃から教え子たちに話しているのは、そうした自身の経験があるからこそ。
大学受験の参考書だって一種の本の世界であることに変わりはない。
本を読み大量の知識と教養を詰め込むだけ詰め込んできて、でもそれを現実の世界で活かそうとしてこなかったわけだから、この7年間を壮大なる時間の無駄だと捉えても、あながち間違ってはいないと思う。
本の世界に沈み込みかける前まで書いていた当時のブログタイトルは「進む砂時計」(っていう目も当てられないほど痛いもの…笑)だったにもかかわらず、人間的な成長の面では、僕の時計の針は進まずにずっと止まっていたのだから皮肉としか言いようがない。

7年。

詳しくはまたいずれ書くだろうけど、去年海外放浪を経験してきたおかげで、本の世界にこのまま沈み込んでいたらヤバいと幸運にも気付けたからこそ、懲りもせずにこうしてまた不特定多数の人が見られるネット空間に文章を書き溜めていこうと思い立ったわけであります。
本の世界から飛び出して少しずつ外の現実世界で、これからは生きていけるように、とりあえずは「はてなブログ」にその都度の糧を書き残していけたらと思う。