砂川ひろのりの日記

政治・経済・社会批評について

教育的適性の高い生徒をすくい上げるための貧困対策事業(貧困問題と学習能力の相関性⑤)

知識社会は、知能の高い人が富み、知能の低い人が貧しくなるような社会構造になっている。そのような社会で貧困に陥らないようにするには、知能が少しでも高くなるよう学力を上げるために勉強したいと考え努力するのが、生き残るための道として一般的に思い…

逆に「学力が低いから貧困に陥りやすい」となら言えるのはなぜなのか:知識社会の視点から(貧困問題と学習能力の相関性④)

「貧困が原因で学習機会に恵まれていないがために学力が低い」のではない。貧困か否かを問わず学習機会はきちんと確保されており、その学習機会を提供する義務教育はひとまず正常に機能している。学力の低さは、貧困問題に還元するよりも"遺伝と学力の因果関…

「「貧困だから学力が低い」のではない」と言えるのはなぜなのか:教育基本法第5条の視点から(貧困問題と学習能力の相関性③)

前回は、行動遺伝学の研究成果によってIQや学業成績あるいは収入にいたるまで遺伝の影響を強く受けている領域が(一般的にイメージされているよりも)広く多岐にわたることが判明していると書き、このように学力と遺伝の因果関係が統計的に証明されている以上…

行動遺伝学の研究成果をもとにした新たな学力観(貧困問題と学習能力の相関性②)

総体的な話として、一般家庭の生徒と貧困世帯の生徒とでは、同じ量の努力をしたとしても、学習能力と学習意欲のあいだに埋めがたいほどの差が歴然と存在すると前回書いた。受験を間近に控えた中学3年生にもかかわらず、中学入学直後に習うはずの正負の足し算…

貧困問題と学習能力の相関性①

教育から離れて2ヶ月ほど時間が経つが、来月から大幅にキャリアチェンジをするにあたって教育について最後に書けることは書いていこうと思い、キーボードを叩いている。地元宮古のとある学習塾が、市から業務委託される形でスタートさせた「市の子ども貧困対…

沖縄はなぜ少女たちが「裸足で逃げ」だす社会なのか(『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』を読んで)

少女たちは一体なにから「裸足で逃げる」のか 沖縄県内の若者を中心としたフィールドワークを精力的におこなう教育学者上間陽子の『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』をつい1ヶ月ほど前に読んだのでその感想含めて、沖縄が抱える貧困問題についてほんの…

学問的関心の出発点となった『まぼろしの郊外』(宮台真司)を改めて読んで

ぼくの学問的関心の出発点が社会学者である宮台真司先生の『まぼろしの郊外』だったことは以前書いた。なぜこの本にそこまでの衝撃を受けたのかといえば、宮古で18年間育ってきたぼくが当たり前のものだとと当然のごとく見做していた宮古的(もしくは沖縄的)…

沖縄が貧困な理由を一言でまとめると

沖縄が貧困な理由はいくつかの複合的な要因に求めることができるが、やはり資本主義の性質を知っておいたほうが一番分かりやすい。その性質を一口にまとめることはそう簡単にはできないが、フランクやアミンの「従属理論」に源流を持つイマニュエル・ウォー…

21世紀社会に生きる子どもたちのための幸福論(草稿):寛容と包摂の社会を目指すリベラリズム(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑯)

3ヶ月近くにわたり書き続けてきた「宿題ばかりしているいまの子どもたち」も、今回でようやく終わりを迎えることができる。書き始めた当初は、まさかこんなにも多くの文章を書くことになるなんて想像していなかっただけに、ほかならぬ僕自身が一番驚いている…

21世紀社会に生きる子どもたちのための処方箋:宮古高校普通科に通う生徒が取るべき戦略(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑮)

前回は、21世紀社会を生きていくにあたり、宮古高校理数科の生徒に焦点を合わせた具体的な処方箋について書いた。現行の二クラス制から一クラス制にし、高校受験時の合格点を240〜250点に引き上げることで平均学力を大幅に引き上げつつ、さらには21世紀型能…

21世紀社会に生きる子どもたちのための処方箋:宮古高校理数科の存在意義の立て直し(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑭)

前回は、「宿題の廃止とテストの削減と校則の緩和」について自説を展開した。改めて簡単にまとめると、「学校的価値観を相対化し、自分が本当にしたいことのための自由な時間を確保する」ため、そして「先生との関わりを減らし、逆に子ども同士で関わる時間…

21世紀社会に生きる子どもたちのための処方箋:宿題の廃止とテストの削減と校則の緩和(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑬)

まず、一番初めにしなければならないことは、「宿題の廃止とテストの削減と校則の緩和」である。前回までの記事で暗示的にでも理由をいくつか挙げてきたが、ここで改めて明示的に挙げると、宿題を廃止したほうがいい理由については3つの点に要約することがで…

「先進化する都市と荒廃化する地方」に二極化する21世紀社会(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑫)

「宿題ばかりしているいまの子どもたち」も今回で12記事目を迎え、いよいよ終わりが見えるところまでやってきた。「批判的思考力」「対話力(コミュニケーション力)」「自己表現力(情報発信力)」と、直近3回にわたり、21世紀型能力について、かなりの文字数を…

21世紀型能力のうちのひとつ「自己表現力(情報発信力)」について(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑪)

21世紀を表す仕方として、前々回は成熟社会を、そして前回はグローバル化社会を横糸に使いながら、「批判的思考力」と「対話力(コミュニケーション力)」の重要性について記述してきた。成長社会から成熟社会への移行やローカルの時代からグローバルの時代へ…

21世紀型能力のうちのひとつ「対話力(コミュニケーション力)」について(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑩)

前回書いた文章は数時間で書き上げてみたものの、一見教育とは関係のないような話を切り口にしたため、そのあとで教育に話を持っていくための論理展開をどうしていけばいいのか、少し難しく感じた。5500字を超える文章になったのも、論理の組み立て方に四苦…

21世紀型能力のうちのひとつ「批判的思考力」について(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑨)

近年さまざまな識者が至るところで論じるようになった「21世紀型能力」だが、人によってはもしかしたら馴染みの薄い概念かもしれない。ここ数年にわたり繰り返し論じられてきたにもかかわらず、「21世紀型能力」についての言説がいまだ一部の人々のあいだで…

21世紀型能力について(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑧)

ここ数年にわたって宮古の中高生のあいだで起きた「高学歴化」は、一見望ましいことであるかのように見えながら、実は20世紀的価値観のなかで生じた現象であったために、21世紀に入ってから20年近くが経とうとしているいまの時代には、ほとんど意味を失って…

20世紀的価値観のなかで勉強に励む「高学歴化」した宮古の中高生(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑦)

宮古のいまのヤンキーたちの実態について、「学校化社会」を下敷きにしながら、⑤、⑥と文章を書き連ねてきたが、7記事目となる今回は、「高学歴化」した中高生たちに話を戻して書いていこうと思う。というのも、「高学歴化」した宮古の中高生たちを、「学校化…

以前の非行少年といまのヤンキーの違い(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑥)

今回で、「宿題ばかりしているいまの子どもたち」と題した文章は6回目となる。もうそろそろ終わってもいいころだと思うが、一度書き始めると、書きたいことが多すぎるのか、すぐに2000字近くになるため、一旦そこで区切ってUPすることにしたら、なかなか終わ…

「学校化社会」が生み出したヤンキーたち(宿題ばかりしているいまの子どもたち⑤)

前回は、僕の生まれ故郷である宮古でも「学校化社会」が急速に浸透してきたことの結果として、一見逆説的に見えるかもしれないが、学校教育をドロップアウトする人たちが増えているのではないかと書いたところで話を終えた。このような社会が成立すると、学…

「学校化社会」について(宿題ばかりしているいまの子どもたち④)

前回は、「家庭学習の義務付け」に象徴されるような、学力向上のための教育的施策が島全体を通して積極的に行なわれてきた結果として、大学合格の実績が伸びてきた反面、その裏で学校教育をドロップアウトする人の数も増加してきているのではないかと書いた…

二極化する宮古の高校生(宿題ばかりしているいまの子どもたち③)

毎日のように宿題が課せられているにもかかわらず、宮古の小中高生の成績が全体的に向上したかと聞かれれば、とてもじゃないが、そうとは言えないと前回書いた。ただ、誤解が生まれないようにここでひとつ補足しておくと、全体的な成績は確かに向上してはい…

「宿題」に時間を奪われる子どもたち(宿題ばかりしているいまの子どもたち②)

僕がこれだけ宿題に対して否定的な意見を持っている理由は、端的に言うと、子どもの自由な時間を奪ってまでするほど価値あることなのかきわめて疑わしいと考えているからだ。むしろ宿題に割く時間が増えることで生じてしまう弊害のほうが甚大で、この点が見…

宿題ばかりしているいまの子どもたち

3年前に地元宮古の塾で中学生を教えるようになって驚いたことがひとつある。それは、学校で「自学自習」や「がんばりノート」といった名目をつけて、家庭学習が毎日1ページ義務付けられていることだった。話を聞いてみたところ、これは土日にも課されていて…

マスクの社会学②

でも「マスクをつける」ことは、近代化(=都市化)した地域ならどこででも見られる普遍的な現象ではなく、現代日本だけの特有な現象なのかもしれないと僕は考えている。というのも、いくら近代化しているとはいえ、マスクをつける人たちが当たり前のように街…

マスクの社会学①

高校を卒業して2006年3月に東京に出たとき、とても驚いたことがひとつある。それは、毎日のようにお祭りをやっているんじゃないかと思ってしまうくらいの街中に溢れる人の多さでもなければ、見上げるだけで首が痛くなるような超高層ビルの高さでもない。当時…

大学へ行く意義は「立ち止まる自由」を得るため(高校を卒業したのち向かう場所で②)

「大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。」 卒業生にこう問いかけた渡辺校長は、大学へ行く意味を、…

大学で過ごす時間の特殊性(高校を卒業したのち向かう場所で①)

3月1日、ほかの地域同様、僕の地元である宮古でも高校の卒業式がおこなわれた。今年の卒業生がまだ高校に入学したてころ、当時働いていた予備校で何人かの生徒を相手にした経験があるが、そのあと間もなく、僕がその予備校を去ることになったために、それ以…

とある島での教育支援

去年の9月から12月の約3ヶ月間、とあるきっかけで沖縄本島近くに位置する離島に、教育支援を目的として島内の中学生を相手として、週に3日の頻度で滞在していたことがある。僕自身、生まれ育った場所が宮古だから、離島という点では共通性があるものの、同じ…

教育の本質は子どもの「可能性を引き出す」こと(超難関校に合格した芦田愛菜ちゃん②)

「勉強しなさい」なんてあほらしい忠告が、子どもにとってどれほど無意味でどれほど有害か、芦田愛菜ちゃんの成功例を見ると、それが痛いほどよく分かる。本当に子どものためを思うなら勉強を無理強いするのではなくて、興味を持ったもの/持ってくれそうな…