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砂川浩範の日記

自分の頭で考えたことを週1~2ペースで更新予定。

「宿題」に時間を奪われる子どもたち(宿題ばかりしているいまの子どもたち②)

僕がこれだけ宿題に対して否定的な意見を持っている理由は、端的に言うと、子どもの自由な時間を奪ってまでするほど価値あることなのかきわめて疑わしいと考えているからだ。
むしろ宿題に割く時間が増えることで生じてしまう弊害のほうが甚大で、この点が見過ごされたまま、あるいは十分に検討されないまま、子どもたちの頭上には毎日のように宿題が降りかかってきているのではないか。
僕にはどうも、宿題という悪しき慣習が、子どもたちのために行なわれているとはあまり思えず、どちらかと言えば、大人たちの自己満足のために行なわれているのではないかという気がしてならない。
これまで何度も述べてきたように、子どもにとって大事なのは、まず第一に自分が自由に使える時間が与えられることだが、宿題はその大事な時間を子どもから奪ってしまうことを意味する。
その自由な時間に何をするかはもちろん人それぞれ違うだろうが、自身の好奇心にしたがうのであれば、何したってかまわないだろう。
友だちと遊んだり、恋愛したり、部活したり、映画観たり、一人でふらっと遠出したりなど、多感な時期にあたる子どものうちにやっておきたいことは数えきれないほどたくさんあるはずだ。
それが仮に勉強だったとしても、本人の自由意志に基づいていることが前提条件にはなるが、それはそれで一応のところ問題はない。
強制されてやらされる宿題がいけないのであって、勉強すること自体がいけないのではない。
むろん勉強するにしても、本人が本当に「それをしたいのか」どうかがまず問われるべきだと僕は思っている。
「……したくもない勉強を強制されてすることほど無駄な時間の使い方なんて存在しない」と、以前述べたことがあるが、それは何度強調してもし過ぎることはない。
ただし、勉強以上に大事なことが数多くある点については、しっかりと理解しておいてほしい。

宿題の弊害はほかにもある。
全生徒に対して毎日のように宿題が課せられているにもかかわらず、宮古の小中高生の成績が全体的に向上したかと問われれば、とてもじゃないが、そうは言い切れない。
勉強ができない生徒は、宿題があろうがなかろうが、できない状態のままに留まっているし、勉強ができる生徒にとっては、宿題があることで逆に、自分が本来すべき勉強が妨げられており、先生を除いて得する人が誰もいないという何とも奇妙な事態が生じている。
確かに宿題をすれば多少は成績の向上は見られるかもしれない。
しかし勉強に意欲的でない生徒にとっては、宿題とはただ空欄を埋めるだけの作業に過ぎず、単に提出し、先生に怒られなければそれでよく、宿題を理解したかどうかなんてまったく気にしていない。
つまり、彼らにとって宿題は意味を成していない。
前回述べた「毎日1ページ義務付けられた家庭学習」についても同様で、成績の向上にはまったく関係がないような「リード文」の書き写しから始め、とりあえずページを埋めることに終始する作業を毎日繰り返しているだけになっている。
いま塾で教えている中学生に「問題文なんて書き写しても時間の無駄なんだけど」と話をすると、その中学生は「問題文を書き写さないと、どんな問題を解いてきたのか先生が分からなくなるよ」と返答してきたのだが、こんな作業が果たして勉強と言えるだろうか。
断言するが、この生徒のような家庭学習を毎日毎日積み重ねたとしても、学力が向上することなど絶対にあり得ない。
そのことを分かったうえで、学校の先生が家庭学習を毎日1ページ義務付けているのだとすれば、それは先生自身が学力向上のメカニズムをまったく理解していないことになる。
でも、本当は先生も気づいているんじゃないか。
宿題が子どもたちにとってほとんど意味を持っていないということを。

(続く)

宿題ばかりしているいまの子どもたち

3年前に地元宮古の塾で中学生を教えるようになって驚いたことがひとつある。
それは、学校で「自学自習」や「がんばりノート」といった名目をつけて、家庭学習が毎日1ページ義務付けられていることだった。
話を聞いてみたところ、これは土日にも課されていて、週明けの月曜には合計3ページもの家庭学習を提出しなければならないことになっているらしい。
家庭学習とは本来、宿題とは別の、自主的におこなう勉強のことを指し、やるかやらないかは本人が自由に決めていいはずのものだが、いつの間にか、ここ宮古では、家庭学習という名を借りた半強制的な宿題が、小学生から高校生にいたるまで幅広く課されるようになっていて、これにはけっこう驚いた。
僕らが小学生や中高生だったときには、「がんばりノート」はおろか宿題すらほとんど出されることがなかったのは、同世代の共通認識として広く行き渡っていると思うが、果たしてどのあたりの世代から、こんなにもたくさんの宿題が毎日課されるようになったのかとても気になるところではある(おそらく2005年10月に誕生した宮古島市政後だと思うが)。

つい最近、塾で教えている小学生に「今日は宿題あるの?」と本当に何気なく質問した際に返ってきた答えが「ないとおかしいでしょ」だったときの驚きといったら今でも忘れられない。
このセリフからも分かるように、いまの子どもたちはどうやら、宿題というのは毎日あってしかるべきものだと考えているようで、しかも文句のひとつも言うことなく黙々と宿題を解き続けているのだから、何だか初めて目にした不思議な光景を見ているかのようだった。
「そんなに勉強して楽しいかい?」と率直に聞きたくなったのは申し訳ないが、それでもやはり、勉強以外にすべき大切なことよりも優先して、まず第一に宿題にいそしむ彼らの姿は、本音を言うと、全力で応援したい気を起こさせるものではなかった。

僕がまだ小中学生だったときには、毎日のように出される宿題がなかったのは先に述べたとおりだが、そうは言ってもさすがに夏休みの宿題があったことは誤解のないように言い添えておく。
ただ、僕の記憶が正しければ、真面目に夏休みの宿題を終わらせて提出していた友人はほとんどなかったと言っていいくらい形骸的なものだったことも同様に言い添えておきたい。
だから言ってしまえば、僕ら世代は高校を卒業するまで宿題とはほとんど縁がなかったと言ってよく、定期テストの対策を除けば、家庭で机に向かった経験は、高校2年の終わりごろに大学受験の勉強を始めたときが初めてだった。
大学受験の経験をした僕は、それでもまだ机に向かったほうで、同学年の1割未満しかセンター試験を受験しなかった世代にあたる当時の友人らの大半は、下手すると家庭で机に向かった経験は高校を卒業するまでほとんどないに等しかったんじゃないか。
いずれにせよ、宿題が学校生活のなかで占める比重は本当に微々たる程度のものでしかなかったことは、ここで何度も強調しておいていい。

幸運なことに、宿題をして来なくても学校の先生に怒られることはなく、良くも悪くも、当時の先生は、僕ら生徒の生活に対してあまり干渉してこなかったがために、いまの子どもたちに比べれば何をするにも本当に自由にやらせてもらっていたし、「目をつぶって」もらったこともそれなりに多かったと思う。
言い換えれば、僕ら当時の子どもたちは宿題などで束縛されずに自由にさせてもらったぶん、勉強以外の大切なことを学校の外で学ぶ機会をたくさん与えられたのだった。
いま思い返せば、学校の先生たちも、子どもには勉強よりも大切なことがあると分かっていたからこそ、あまり干渉してこなかったんじゃないか。
以前、「……大人たちにかろうじて許されるのは、子どもたちの邪魔をしないということだけだ。」と書いたことがあるが、そういう先生方に恵まれた環境で学校生活を送ってこれたことは、本当にどれだけ感謝してもしきれない。

(続く)

マスクの社会学②

でも「マスクをつける」ことは、近代化(=都市化)した地域ならどこででも見られる普遍的な現象ではなく、現代日本だけの特有な現象なのかもしれないと僕は考えている。
というのも、いくら近代化しているとはいえ、マスクをつける人たちが当たり前のように街中を歩いている光景は、ほかの先進国では普通あまり見られないからだ。
それを裏付けるかのように、先日コンビニでたまたま手にした週刊誌に「日本は世界が驚くマスク大国」と題した記事が掲載されていた。
その記事によれば、日本人のマスク偏愛はほかの諸外国には理解しがたいものらしく、たとえば「アメリカで日常的にマスクをつけるのはマイケル・ジャクソンだけ」(アメリカ人)、「電車でつけている人がいたら重病人かと思って誰も近づかない」(ドイツ人)、「整形後なのかなと思う」(韓国人)といった各国の驚きの声が紹介されている。
だから前回書いたように、僕が高校生だった当時、宮古でマスクをつけている人がいたら不審者だと怪しまれたはずだという実感は、あながち的外れではないということが分かってもらえるのではないか。
しかも日本人のマスク依存に対する疑問の声は、先の週刊誌だけが主張しているのではない。
ハイパー・メディアクリエイターの高城剛も自身のブログで同じように、空港の国際ターミナルで日本人の「マスクマン」が溢れていたことに驚きを隠さない。

国際空港ターミナルで、日本人だけマスクマン。
その光景は国際道徳に反するなどではなく、滑稽だ。
礼儀的にマスクはとった方がいい。
つけてる人が患者のようで、周囲に不安を捲いているのを気がつかないのだろうか?
どこかの国の隣のお婆さんが、怖がってますよ。
ガラパゴス化は、技術ではなく国民性になってしまったようだ。

少し過激な発言だが、彼の意見には、ほぼ全面的に僕も同意する。
百歩譲って風邪やインフルエンザのときにマスクをつけるのは仕方がない。
ただ、「だてマスク」という言葉に象徴されるように、体調が悪いわけでもないのに、スッピンを隠すためであったり、あるいは安心するからというだけの理由で、あえてマスクをつける人がここ数年で急激に増えているのは、誰もが耳にしたことがある通りで、これにはなかなか首肯できない部分がある。
いずれにせよ、マスクを日常的につける人に対して僕が薄気味悪さを感じる理由の一つは、その人の表情がまったく見えないことに起因している。
人と会話しているときに分かる、笑顔や悲しげな顔など、表情から読み取れる相手の細やかな感情というものがあると思うが、マスクをつけている人との会話の場合だとそれがよく分からなくなり少し困ってしまう。
「マスク大国日本」で生活しているぶん、すでに慣れているため、僕自身はそう感じたりはしないが、もしマスクに馴染みの薄い国の人と話しているときにこちら側がマスクで表情を隠したりすると、もしかしたらコミュニケーションを取りたくないのだろうかと相手に訝しまれる可能性だって、ないとは言い切れない。

近代化とは、これまで血縁・地縁関係を主体として構築されてきた集団的な関係性が解体されることで、自我がむき出しになり個人主義的で自由な自己が生み出される過程を指すが、「マスクをつける」ことは、集団内でのコミュニケーションを遮断し、一人ひとりの個人が自己のなかに内閉する行為だと見なせる以上、まさに日本が近代化した成れの果てに行き着いた一つの表象だと考えていい。
僕自身がなるべくマスクをつけないように心がけているのも、近代化の良い面と悪い面に自覚的になったうえで、その悪い面に対し自分なりに抗おうとしているのが、理由としてその背景にある。

この「マスクの社会学」は、ほとんどの人にとってはどうでもいいような細かい事象なのかもしれない。
特に、都会で育った人ならば、このような疑問を抱いたことすらないくらい歯牙にもかけない程度の問題なのかもしれない。
ただ、沖縄のそのまた離島である宮古で18年間過ごしてきた僕のような人間は、マスクひとつ取ってみてもかなり興味深いものに感じられるほど、近代的な街と前近代的なムラとの間に存在するあらゆる相違を敏感に感じ取ってしまうようで、縦長の国である日本には、お互いが知る由もないような独自の習俗のなかで暮らす人たちがちゃんと存在していることもまた、ひとつの事実なのだ。
だからこそ、こういう些細な事柄一つひとつに時間をかけて思考を巡らせてみることは、そう無駄ではないと僕は思っている。

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マスクの社会学①

高校を卒業して2006年3月に東京に出たとき、とても驚いたことがひとつある。
それは、毎日のようにお祭りをやっているんじゃないかと思ってしまうくらいの街中に溢れる人の多さでもなければ、見上げるだけで首が痛くなるような超高層ビルの高さでもない。
当時の僕が驚いたこと、それは他でもなくマスクをつけている人たちがそこらじゅうにたくさんいたことだった。
割と本気で「街中で毒ガスでも撒かれているんじゃないか」と怯えそうになるくらいだったから、どれだけ驚いたのか理解してもらえるのではないだろうか。
特に駅周辺でごった返す人々のうち、マスクをつけている人の割合は尋常じゃないほどかなり多かったと記憶している。
のちに知り合った東京の友人に確認したところ、風邪気味だったりインフルエンザや花粉症の対策だったりと、冬から春にかけてはマスクをつける理由がちゃんとあるらしいと教えてもらい、とりあえずのところ安心はしたのだが、それまでは彼ら「マスク人」たちが僕の目には奇異の対象として映り続けた。

「寒い時期にマスクをつけるなんて当たり前じゃないか」と思う人もいるだろう。
でも実は、そんなことはない。
内地ならいざ知らず、少なくとも僕の生まれ故郷である宮古で、マスクをつけている人は、いくらインフルエンザが流行る時期であっても、僕が高校生までは誰もいなかった。
と聞くと、いまの宮古の中高生たちはビックリするのではないだろうか。
でもこれは嘘じゃない。
自分の親に聞いてみたら分かる。
宮古では、学校はおろか病院でもつけている人がいなかったくらいだから、その当時マスクをつけている人がもしいたとすれば「不審者」だと絶対に怪しまれたはずだ。
それくらい宮古で生まれ育った僕にとってマスクとは、誤解を恐れずに言えば「異物」だと言っていいほど馴染みの薄いものだった。
それなのに、4年前久しぶりに帰ってきたとき、宮古でも「マスク人」たちの存在を当たり前のように確認できたときの驚きと悲しさと言ったら、今でも忘れられないほど鮮明に覚えている。
「あぁ、ついに宮古も内地化してしまったんだなぁ……。」とこれまた割と本気で宮古の現状を憂いたのだが、そのことについて(誰にも読ませていない)エッセイめいた文章を書くほどだった。

大学時代、僕は周囲の人に「自分の地元には冬でも風邪のときでもマスクをつけている人はいない」と鼻高々に言ってきたのに、まさか知らない間にそうではなくなっていたなんて、東京にいたときには思いもよらなかった。
なんでマスクをつけている人がいなかったくらいで鼻高々になったのかと言えば、少し難しい言い方をすれば、マスクとは近代化(=都市化)の一つの現象だととらえることができると考えていたことが背景にある。

都市化とは、つまるところ東京化を意味している。
もう少し簡単に言えば、「マスクをつけている=都会に染まっている=東京化している」という関係性が成り立つために、マスクをつけている人が街中にあまりいないということは、地元らしさ(=宮古らしさ)を残していると見なすことができるわけで、すなわち「都会に染まり切っていない部分を宮古はちゃんと持っている」のだと示したくて、大学時代の友人らに語るとき僕は鼻高々になったのだった。

マスクひとつでこんな難しく考えるなよって声があらゆる方向から飛んできそうだが、それくらい「都会に染まっているかいないか」は、東京での生活を7年経験してきた僕にとってはかなり大きな問題だった。
いや、僕だけじゃなくて、都会に住んだ経験のある田舎者なら、だれでも一度は通過する問いだと言っていいくらい、これは普遍的なものではないだろうか。
地元の仲間同士で集まっているにも関わらず、都会での生活が長いからといって標準語をしゃべる奴がいると思わずイラッとした経験は、田舎出身の人なら誰もが持っていると思うが、「マスクをつけるかつけないか」という二者択一の問いは、「地元民と集まったときでも標準語を喋るのか喋らないのか」といったようなより一般的な話に置き換えることだってできる。
これを「マスクの社会学」と名付けよう。

(続く)

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大学へ行く意義は「立ち止まる自由」を得るため(高校を卒業したのち向かう場所で②)

「大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。」

 卒業生にこう問いかけた渡辺校長は、大学へ行く意味を、以下のように端的に表現する。
「大学へ行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか」、と。
「言葉を換えるならば、「立ち止まる自由」を得るためなのではないか」、と。
まさにその通りだと、僕も大学在学中からずっと考えてきた。
少し表現の仕方は違うが、僕自身の言葉で言い直せば、「大学へ行く意義は、自分が「自由に耐えられる人間」であるかどうか見極めることにある」となる。
もう少し付け加えると、僕が敬愛する宮台先生の言葉では、「「陥没した視座」から世の中を眺める」となるし、思想家である内田樹の言葉では、「大学では「生産的無為」の時間を過ごすことが必要だ」となり、またタモリの言葉では「実存のゼロ地点に立て」になる(それぞれの言葉を一部改変)。

いまの時代、ITが高度に発達したために大学に行く意義はどんどん薄まってきており、さらに言えば僕は大学進学否定論者になりつつあるが、それでもなお、理系学部での実験を除いて、もし大学に行く意義があるとすれば、それはまさに、社会に出る前に一度ちゃんと足を止めて、「一体自分は何者なのか」「この世界で自分にできることとは一体何なのか」とじっくりと考えてみるという点に尽きるのではないだろうか。
多くの場合、中学高校時代あるいは社会に出たあとは、足を止めることはなかなか許してもらえない。
もちろん働き方次第では社会に出てからも、足を止めて自分と自分を取り巻く状況を見つめ直すことはそんなに難しいわけではないのだが、とりあえずのところ、多くの社会人にとってそれが難しいことに変わりはない。
もしそうだと考えるなら、渡辺校長が象徴的に述べた「海を見る自由」が得られる場所は大学をおいて他にはないということになる。
しかしその自由は、ときに「不安(と孤独)」を一緒に引き連れてやって来る。
いや、デンマークの哲学者キルケゴールが「不安は自由の眩暈だ」と述べているところからも分かるように、自由は不安と分かちがたく一緒に存在していると考えるほうが正しいだろう。
だからこそ大学へ行っても、「立ち止まる自由」を得ることもなく、不安に負け、これといった理由があるわけではないのにもかかわらず、とにかく予定を詰め込んで走り続ける人が後を絶たない。
その結果、断固守るべき己の「自由」を誰か別の人に明け渡し、委ねてしまうことになる。
まるで自ら不自由にでもなりたがっているかのように。
でも、一度足を止めないと見えてこないものがある。
足を止めてこそ見えるものがある。
それが一体何なのかは人それぞれだろうが、ここ日本では社会に出るとなかなか立ち止まることが許されない以上、せめて大学時代だけでも立ち止まってじっくりと考えてみることはとても貴重な時間の使い方だと僕は思っている。
渡辺校長が言うように、勉強なら大学を卒業してからも一生し続けていくものだし、友だちを作ることだって大学じゃないほうが手っ取り早いかもしれない。
少なくとも大学じゃなければできないことではない。
しかし唯一大学じゃないとできないこと、それは、長い人生の過程のなかで一度立ち止まる自由を4年間与えてもらうことで、「今後自分はどう生きていくべきか/どう生きていきたいのか」を考えるために、”自分の内なる声”に耳を傾けるということに他ならない。
まさにこの一点に、大学生活が懸かっていると言っていいくらいだ。

いまの宮高卒業生は、僕の11歳年下の学年になる。
4年前宮古に戻ってきたときの卒業生はそうでもなかったのに、さすがに今年の卒業生とはもう随分と年が離れてしまったように感じる。
彼らもまた、僕と同じように大学で4年間過ごすことになるわけだが、青春のすべてがつまった大学で実りある時間を過ごせるように、母校の先輩として、ささやかながらここで応援の意を伝えたいと思う。

 

参考までに、渡辺校長の祝辞全文。

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ) | 立教新座中学校・高等学校

大学で過ごす時間の特殊性(高校を卒業したのち向かう場所で①)

3月1日、ほかの地域同様、僕の地元である宮古でも高校の卒業式がおこなわれた。
今年の卒業生がまだ高校に入学したてころ、当時働いていた予備校で何人かの生徒を相手にした経験があるが、そのあと間もなく、僕がその予備校を去ることになったために、それ以上相手をする機会は失われた。
できればもう少し相手をしていたかったと考えることが時たまあるのは、どの学年にも勝るとも劣らないレベルの賢い子たちが揃っているような気がしたからだった。
実際、琉球大学医学部医学科を筆頭に、何人かの子たちが志望校に合格したと、当時は予想だにしなかった期待以上の結果を、新聞で知って驚くばかりだった。
それから早3年が経過し、あのころ中学を卒業したばかりの子たちが、こんなにも早く高校を卒業する日を迎えたのだと思うと、さすがに時間の早さを感じずにはいられない。
これまで周りの友だちと同じ時間割で授業を受け、サッカーやバレーなど選択幅の狭い部活動に所属し、似たようなアルバイトに精を出したりしながら高校時代を過ごしてきたのが、これからは口うるさい先生や堅苦しい校則ともおさらばし、中学高校とはまったく違う進み方をする時間のなかで生きていくことになる。
与えられた時間を、みんなと同じように使うことはもう二度とできない。
何にどう時間を使っていくのか、これからは自分で決めていかなければならず、その意味で18歳はもう立派な大人だと言っていい。
宮古の各高校では卒業式があった日の夜に卒業を祝してパーティーが開かれるが、そのパーティーのことを「卒業パーティー」とは呼ばずに「分散会」と呼ぶのは、3年間ともに過ごした同窓生らが、文字通り日本各地に「分散」して島を離れるからだ。
本土の高校生なら、その多くが、地元県の中心地かもしくは近郊の都市大学に進学するため、「分散会」と形容するにはあまりに分散範囲が狭すぎるが、本土から遠く離れた沖縄のそのまた離島の宮古ともなれば、「卒パ」ではなくて「分散会」という呼び名がしっくり来るのも、なるほど、当然と言えば当然なのかもしれない。
こうして毎年、高校を卒業した18歳の若人たちは、自身が生まれ育った島を離れて、それぞれの新天地へ向け意気高揚に旅立っていく。
人によっては進学せずに、そのまま働きに出る人だって少なからずいるだろう。
ただ、僕が(ほんの少し)関わった宮高卒業生の旅立つ先の多くは大学だから、島を離れたのち与えられる時間というのは、基本的に大学で過ごす時間を意味する。
大学に進学した経験のある人なら分かると思うが、大学での時間の使い方というのは、それまでと違い、ちょっと特殊だ。
何にどう時間を使うのか、ほとんどすべて自分で決めなければならず、大学に入学するまで経験したことのなかった時間の使い方を否が応にもするはめになり、大学生の多くは一度ここで戸惑うが、そのことについて考える際に僕はいつも、東日本大震災があった年に、立教新座高校の校長先生が卒業生に贈った祝辞をよく思い出す。
もしかしたら覚えている人も多いのではないだろうか。
震災の混乱冷めやらぬ非常時のさなか、読む者に勇気を与えたあの力強い言葉を。
立教新座高校の渡辺校長は、震災で卒業式の中止を余儀なくされた卒業生に向けて、大学へ行く意義をこう問いかける。

(続く)

とある島での教育支援

去年の9月から12月の約3ヶ月間、とあるきっかけで沖縄本島近くに位置する離島に、教育支援を目的として島内の中学生を相手として、週に3日の頻度で滞在していたことがある。
僕自身、生まれ育った場所が宮古だから、離島という点では共通性があるものの、同じ離島だとはいえ、宮古とはだいぶ様相の違う島だった。
内地の人がイメージしがちな沖縄の原風景に近い島だと表現すれば何となく想像できるかもしれない。
当初は年度末の予定だったその教育支援を、支援員のうち僕だけがたった3ヶ月で止め、島から離れることになった理由は、端的に言うと、その教育支援に付き合いきれなくなったからだった。
急いで付け加えておくと、その島の中学生に付き合いきれなくなったのではなく、その子たちに「善意」から教育支援を施そうとした「大人たち」に対して付き合いきれなくなったという点を間違えないでほしい。
もうこれ以上、その「大人たち」に加担して子どもたちを振り回すことは僕にはできなかった。
どういうわけか、行政側も教育支援する側も、そして保護者も、何から何まで間違っているようにしか僕には思えなかった。
これまた急いで付け加えれば、行政側と保護者には同情の余地がある。
那覇浦添ましてや内地の都市などと比較すると、離島はあらゆるインフラが立ち遅れているがために、時代に即した効果的なアプローチ法をリアルタイムで入手し、そしてそれを教育に反映するのが構造的に困難になっている点を考慮すると、島の人間である行政と保護者の両者を責める気にはとてもなれない。
僕自身、島の出身者だから分かるが、田舎で生まれ育った者が背負うべき宿命みたいなものはどうしたって存在するし、どうあがいても都市で生まれ育った人々との間にある埋めがたい差異に抗うのは本当に難しいということをとてもよく知っている。
だから間違っていたのは、行政でも保護者でも、ましてや子どもたちでもなく、教育支援する僕らのほうだった。
誤解のないように言っておくと、現場で教える講師陣というよりはむしろその教育支援をおこなうことを決定した人たちが間違っていた。
遅かれ早かれ、僕らが行なってきたその教育支援は途中で立ち行かなくなることは最初から気づいていたし、そしてその教育支援が子どもたちにとって将来的に何かしらの意味を持つこともほとんどないだろうということも僕には最初から分かっていた。
だからこそ付き合いきれずに下りたわけだが、もし上手くいっているように見えたり、あるいは、とりあえず最後まで続いたのだからそれで良しとしようと考えているのだとすれば、それはただ単に、物事の本質を見る目がないというだけでしかない。

あの年代の子どもたちにとって必要なのは、成績を上げることを目的として行なわれる教育支援などでは、断じて、ない。
そんな時代遅れなことをしても今の時代ほとんど意味がない。
意味があったのは、「いい大学→いい会社→いい人生」が成立していた前時代までだった。
学校の成績と「社会で生きる力」そして「いい人生」とのあいだにはもはや相関関係が成り立たなくなってきているというのに、ことごとく時代に逆行するかのような教育支援。
そのことに気づいていないのは何十年も前に学校を卒業した大人たちだけであって、子どもたちはもうとっくに気づいている。
子どもたちが時代の変化にちゃんと合わせることができているのとは対照的に、教育に関わる大人たちのほうでは、なぜか時間が止まっていて、そしてタチが悪いことに当の本人たちはそれに気づいていない。
だからなのか、驚くべきことに、大人たちは自分たちの行為がさも正しいかのように振る舞い、勉強しない子どもたちを怒鳴りつけてまで無理矢理にでも机に向かわせ、社会でほとんど役に立たない無意味な授業を与えることしかできていないにもかかわらず、まるでそれが当然だと言わんばかりの態度を取る。
「君たちの将来のためを思えばこそ」などとうそぶきながら。
正しいのは、間違っても子どもたちに勉強を強いる大人たちのほうではない。
興味のないことには興味がないと言い、楽しくないことには楽しくないとちゃんと態度で表明できる子どもたちの、その好き嫌いで行なわれる判断のほうが明らかに正しいに決まっている。
彼らが授業中に取る無関心な態度や妨害行為は、間違った教育支援をおこなう大人たちに対して向けられるアンチテーゼだと見なしていい。
英単語や歴史の用語を何が何だか理解もせずに暗記して、一体それが何の役に立つというのだろう。
作者の心情を代弁したり四段活用や上一段活用を覚えたりして、一体それが何の役に立つというのだろう。
確かに二次関数や方程式は社会に出てからも役立つが、それを教わる場所が学校や塾になった途端に役に立たなくなるのは一体何の悪い冗談だろう。
本来楽しいはずの勉強をつまらなくしているのは大人たちのほうだというのに、だから子どもたちは興味を持つことができないというのに、どういったわけなのか、学ぶことの楽しさを教えられない大人たちのほうではなく、なぜか勉強しない子どもたちのほうが悪いと責められることが普通にまかり通る恐ろしい状況がそこかしこに存在している。
広い世界を見せ自主性を育て、そして興味のおもむくままに自由にさせてあげること以上に、あの年代の子どもたちにとって大事なことは何もない。
それができないというのなら、大人たちにかろうじて許されるのは、子どもたちの邪魔をしないということだけだ。
学校や塾の勉強よりも何十倍も楽しくて社会に出てから役立つことはたくさんある。
むしろそういうことを教えてあげるのが大人の役割であり、なにも勉強を教えることだけが能じゃない。
したくもない勉強を強制されてまですることほど無駄な時間の使い方なんて存在しないのに、何のお節介からか、教育支援という美しい名目を掲げて、わざわざ子どもたちの邪魔をしにやって来る大人たちの傲慢さと言ったら何と形容したらいいだろうか。
開発経済学ではこれを「傲慢な援助」と呼ぶが、良かれと思ってした援助が実は相手の自立心を削いでしまう現象は学問的にも認められている。
もし教育支援をおこなうのなら、本当の意味で勉強する意欲のある生徒だけにすべきだった。
とは言ったものの島社会特有の力学が働き、実質上全生徒強制参加になるのが最初から分かりきっていたのだから、本来ならば何もしないほうがまだマシだった。
ももう、起こってしまったことを時間を戻してやり直すことなんて最早できないし、一部の生徒にとってはおそらく意味ある支援だったことも疑いのない事実だろうだから、もうこれ以上何か言葉を付け足すのは、ここで打ち切りにしたい。
教育支援を途中で下りた僕が、あの島の子どもたちのために何か残せるものがあるとすれば、それは、当時僕が何を考えながら君たちと接していたのか、そして何よりも、「大人の犠牲にだけはならないでほしい、もっと自由でいてほしい」という願いを込めたこの文章だけである。